パートリーダーもいろいろ

モーツアルトの名前を冠する合奏団の見学に行った。2度目である。その理由は、チェロのトップ奏者が休みがちで、なかなか会う機会がなかったため。どこのアマオケでも、パート・トップはよほどのことがない限り、練習を休まない。 ここのチェロは例外的で、トップ不在で練習することが割と頻繁にあるらしい。

それはともかく、本日お目にかかったチェロのリーダーは60代半ばの男性だった。長くチェロをやっているそうで、確かに達者な演奏ぶりであった。見学に行った私をいきなりトップサイドで弾かせて、横目でチラチラと様子を見ていた。こういうやり方は感心しない。オーディションをするなら、皆の前でソロを弾かせればいい。

練習が始まる前、本日の練習を見学に来られたバイオリン奏者(30歳ぐらいの男性)が自己紹介をなさった。それを聞いた隣のリーダーは「わざわざ自分でセカンドを志願しにきた・・・」と、振り向きざまに後席の団員に話しかけていた。その話し方のニュアンスには、「モーツアルトのセカンドパートの難しさを知らない素人が、ノコノコ現れた」という”上から目線”が含まれていた。

きっとオーケストラ歴が何十年もあるのだろう。彼がこのオケで大御所的態度でふるまっているのは、その一言でわかった(バイオリンとビオラのトップは女性。チェロだけ男性なのだ)。その後も、練習中、指揮者から出された要望に対する批判的発言(チェロの仲間内に向けての内緒話)も聞かれた。練習中は私語を慎むのがマナーだが、リーダーが率先してやっていた。というか、おしゃべりしていたのは彼ひとり。中には演奏上の注意もあったので、すべてが雑談ではなかったが、口数がやたらと多い。頻繁に指揮者に背を向けて何か喋っているチェロのトップは、指揮者からはどう見えているのやら?私は隣人の無駄口が気になって、指揮者の話に集中することが出来なかった。ざっと眺めた印象では、ここのチェロパートのメンバーは、お山の大将に服従する立場を強いられているようだった。私はリーダーが欠席した時の練習も見ている。その時はもっと風通しのいい明るい雰囲気だった。

私はといえば、楽譜が渡されていない状態で、本気でさらってくる気にはなれないから、前回同様、「弾けるところだけ弾きます」と隣人にあらかじめ断って、シラッと弾いていた。厄介な部分は、涼しい顔をして弓を止めた。たとえば、弓の上げ下げの指定を上書きして直した箇所では、旧指定を消さずに新指定を書き加えてあった。ゴチャゴチャで、どっちが訂正後の指示なのか、初見の私にはさっぱりわからない。そんな、記入者本人しかわからない楽譜は弾けない。指揮者の先生の目の前で 弓を止めるのは、われながらいかがなものかと思えたが、不慣れな見学者を最前列に座らせる方が悪いのである。


2曲目のハイドンではセカンドプルトに移動した。ハイドン交響曲第94番は、モーツアルトに比べると、シンプルに書かれていて、初見でもかなり弾けた。小細工のない弾きやすい譜面(ハイドンの作曲自体もそうだが、誰かの譜面と違って、こちらの方の楽譜には変な書き込みがない)を見ていると、ハイドンという作曲家は、おおらかで開放的な精神を持った人だったのだろうと思われた。

モーツァルトは紛れもない名曲だけれど、リズムや音程をひたすら直してゆく90分はさすがに痺れる。その点ハイドンでは、その屈託のなさとユーモアでもっていくらでも飽きがこない印象。今日も佳い内容であった」とは、指揮者の先生の言。そうなのだ。ハイドンの曲は飽きずに聞き通せるが、モーツアルトはしんどい場合がある。ハイドンの音楽は聴き手にも、弾き手にも微笑みかけてくれる。だが、モーツアルトは、そうではない。

練習後、帰り道で一緒になった他パートのご老人から「入団してくださいね。チェロは相次いでメンバーが抜けて、ほとんどいなくなった時もあったので」と、心細い話を聞かされた。次々にメンバーが去った理由は訊ねなかった。




にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村