マゼール逝去

ロリン・マゼールが13日に亡くなった。肺炎による合併症とのこと。84歳だった。

この人は若い頃から天才肌の指揮者として頭角を表していて、20代の終わり頃にベルリン・フィルと録音したベートーヴェン交響曲第5番・6番などは、名門オケ相手に堂々と渡り合っている。若いころのマゼールの芸風は「肉を切らせて骨を断つ」とか「真剣白刃取り」みたいなハイ・テンションなところがあり、どの録音にも切実な緊張感が漂っていた。

1960年代中頃に、ベルリン放送交響楽団(現在のベルリン・ドイツ交響楽団)と録音したバッハの「ロ短調ミサ」やペルゴレージの「スターバト・マーテル」などは、そうしたシリアスな面が曲想にマッチし、渾身の力作となっている。半世紀前の演奏だからスタイルは今風ではないが、腹にズッシリと来る手応えが凄い。切羽詰まったテンションがいつまで続くのか見ものだったが、40歳代になってクリーブランド管弦楽団に転身した頃から、あくの強さを抑えて、さらっと流したような音楽をするようになった。飛ぶ鳥を落とす勢いのカラヤンが君臨したベルリンでの対抗馬のポジションから離れ、アメリカに移って客観的な音楽をするようになったのだろうか。

クリーブランドで録音したベートーヴェンブラームス交響曲全集は、前任者のセルが築いた伝説的なアンサンブルに官能的な色合いを加味したそつのない仕上がりではあった。しかし、アク抜きをやり過ぎた観もあって、あまり話題にもならず忘れ去られていったような気がする。

10年後にウィーン国立歌劇場音楽監督となり、ニューイヤーコンサートの常連として頻繁に正月番組に登場したところまでは破竹の勢いを感じさせた。ベームカラヤンアバドなどが次々に追い出された伏魔殿のような歌劇場のシェフになったマゼールも最後は同様の結果となる。そして89年のポスト・カラヤン競争に敗れてからは、ますますぱっとしなくなった。マゼールは、自分がベルリン・フィルの指揮者に選ばれるつもりで祝賀会場のホテルまで予約していた話は有名である。蓋を開けてみれば、オケが選んだのは、やる気満々の彼ではなく、ダークホース的存在で控え目なアバドだった。マゼールのショックはいかばかりであったろう。そういう裏話が広まったことも、イメージダウンに拍車をかけた。

その後、ニューヨーク・フィルバイエルン放送響、ミュンヘン・フィルなどメジャーオケのポストを得たものの、曲者指揮者というイメージが強くなって、わたしなどはこの人の録音を積極的に聴くこと機会が減っていった。悪くはないのだが、ビジネスライクな演奏に聞こえる場合が多かったと思う。そんな中で、興味を引いたのはベートーヴェンの「戦争交響曲」。ウィーン・フィルバイエルン放送響とで、デジタル時代に2回録音している。あの曲を2度も録音した指揮者は、他にいないのではなかろうか?本物の大砲やら鉄砲の音をドンドン・パチパチ鳴らして絢爛豪華な音絵巻に仕立てたウィーン盤、そうした別録り効果音を使わず、古風で朴訥な趣を活かしたミュンヘン盤、ともにわたしのお気に入りである。

晩年は重厚長大なスケール感とコテコテ感がミックスした老獪な音楽をやっていた。マゼールが振ると、シベリウス交響曲などは、大河ドラマのテーマ音楽のようになる。芝居がかった演出をするところは、オペラ向きの芸風だったともいえよう。「ニーベルングの指輪」の管弦楽用抜粋版はちょっと話題になったけれど、この超大作の全曲録音をマゼールが残せなかったのは惜しまれる。
http://instantencore.com/music/details.aspx?PId=5100579

ちなみにマゼールは、ピッツバーグ交響楽団のバイオリン奏者としてキャリアをスタートしている。巨匠指揮者匠と呼ばれるようになってからもバイオリン演奏を披露することがあり、ウィーン・フィルニューイヤーコンサートで弾き振りをしたこともあった。危なっかしいというほどではないものの、当時のコンマスのヘッツェルが岩盤的なフォローをしているので、安心して聞いていられる光景だった。

手元にはマゼールがソロを弾いて1994〜5年に録音した「愛の悲しみ〜マゼール・ヴァイオリン・ソロ・リサイタル」のCDもある。愛用の1783年製のガダニーニで演奏したクライスラーとかのお稽古名曲集である。旦那芸といった風情で気楽に演奏を楽しんでいる(この楽器は2011年11月のタリシオのオークションで売却されたという)。






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