三度目の安田靫彦展を見る

東京国立近代美術館の「安田靫彦」展にまた行った。展示替えするたびに出かけたので3度目。同じ展覧会を3回見に行くのは、そうそうない。会期中最後の入れ替えでお出ましの「飛鳥の春の額田王」(滋賀県立近代美術館蔵)は、ほんのりと甘い官能性が心地よい。安田靫彦にしては異例ともいえるみずみずしさが素晴らしい作品で、 聡明な皇女の気品を見事に描いている。近景から遠景に飛ぶ構図法はイタリア・ルネサンス肖像画を彷彿とさせる。その背景に描かれた大和三山のふくよかな丸み、空にかかる霞のほのかな茜色のグラデーション・・・相変わらず色使いが冴えている。

ちなみに滋賀県美に安田靫彦の作品が多く収蔵されているのは、小倉遊亀との関連による。 明治28年(1895)滋賀県大津に生まれた小倉遊亀は、奈良女高師を卒業後、教鞭をとりながら画道を志し、大正9年(1920)安田靫彦への入門を果たして、精進の結果日本を代表する日本画家へと成長を遂げたのでした。 滋賀県美が出来た頃、小倉さんは女性画家として二人目の文化勲章を受章し日本画壇の頂点にいたのだ。

安田靫彦の絵は、パッと見の派手さ=動的な感興よりも、噛めば噛むほど味が出る奥行きの深さが身上だから、日本画の歴史(日本史も)を承知していない人には、理解するのが難しいタイプといえる。理想美を追求した絵は、刹那的な動きの表現を意図的に抑制しているから退屈に思う人もいるだろう。能を見て動きがかったるい。サーカスの方が万事速くて派手で面白い。能には動的感興が足りないというようなものだ。動きの派手さを求めたい人は川端龍子みたいな会場芸術を見ればよいのである。安田靫彦とは路線が違う絵画で、気宇壮大でダイナミックな画面はそれなりに見応えする。

靫彦の歴史画は、画中に登場する歴史的人物の性格付けはもとより、脇にさりげなく置かれた古陶磁や画中画の軸物とか、美術の素養がないと、それが何なのか分からない仕掛けをいろいろと施してある。そういう歴史的知識がなくても楽しめる花の絵には、もっと新しい感覚が読み取れる。チューリップを描いた作品など、一瞬、山口逢春かと思ってしまった。設えを凝らした歴史画の様式美もいいが、普段着感覚の花や風景には、この画家の素顔が伺えるような気がする。

90歳過ぎまで精進を重ね、若い頃に到達してしまった最高水準の画力を生涯維持し続けた画家のポテンシャルを思う時、私は何となく大バッハの人生を連想してしまう。青年時代から死ぬまで同じ水準をキープした芸術家はそうそういない。そんな靫彦の練達の手から生まれた絵画の見所は描線の妙味にある。たかが線、それがどうしたという人がいるなら、筆であの線を引いて見ろといいたい。今の画家であの線を描ける人は皆無である。単なる線に物を言わす安田の筆力は、明治以降の院展日本画のひとつの絶頂形で、あれを否定するのは日本画の美質の重要な部分を否定するのと同じことになる。

実際、そういう方向に時代は進んでしまった。極限まで洗練されたものは、もはやそれ以上の進歩は望めないからだ。靫彦の後の日本画家は、線を重視せず洋画と同じ手法で描くようになる。1本の線を描くための修練に恐ろしく長い時間を費やした絵よりも、絵の具の厚塗り、あるいはスプレーで絵の具を吹き付けた滝の絵が好まれる時代になっている。だからこそ、今、安田靫彦展を見るのはある時代で途切れてしまった伝統の大きさや価値を再考するよい機会になるのだ。

ちなみに評判を呼んだ巻物「月の兎」はもう展示終了していて、同じ場所には「東都名所」の連作が展示されていた。いろんな画家による寄せ描き。安田の朦朧体風の絵も悪くなかったが、中村岳陵がデリケートなニュアンスに富んだ色彩感覚の冴えを示していた。


 

中村岳陵



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