東京国立博物館の特別展「茶の湯」を見る

レセプションに行ってきた。上野の桜は散り始めていたが、花見客は多く宴会もあちこちでやっていた。それにしても外国人観光客の多いこと。東博平成館の2階も招待客で溢れていた。

第1室の最初に牧谿「観音猿鶴図」が置いてあり、冒頭からいきなり大名品で圧倒する作戦のようだ。伝毛松「猿図」の霊妙な筆さばきに感嘆したところで、「木葉天目」「玳皮盞」「油滴天目」が目に入り、その奥に「曜変天目」、三大肩衝茶入の一つ「初花」などが並んでいる。序盤から綺羅星のようなスターがぞろぞろとお出ましとは。これだけで展覧会が出来るレベルなのに、まだ最初の部屋という贅沢さ。青磁の名品「下蕪花入」「「鳳凰耳花入」「輪花茶碗・馬蝗絆」など、茶道具の代名詞のような逸品が惜しげもなく並んでいる。

足利将軍家、信長、秀吉などが収集した唐物の釉薬のテクスチュアは、エメラルドやサファイヤ、ルビー、オパールなどの宝石の煌きに近いというか、言葉で説明しても意味がない類の抽象美といえるだろうか。それらを見るわれわれの意識は素材としての自己価値の現実的認識のレベルに留まってしまいがちだが、景色と呼んで何かしらの暗示的模様に見立て想像を膨らませる人もいる。狩野派や長谷川派が日本の具象絵画を代表する絢爛豪華な障壁画を描いていた時代に、陶磁器の肌に浮かぶデリケートな抽象美が愛でられていたのは興味深い。

利休関連の茶道具を紹介するコーナーで長次郎その他を拝見すると、利休という人物の美意識が端正なおおらかさを基本にしたバランス感に優れたものだったことがよくわかる。それが織部になるとバロック的な破調を喜ぶようになる。光悦の温かみのある融通無碍な造形美は一代限りだったのだろう。創造性に満ちた時代は長くは続かず、だんだん隘路に迷い込んでしまい形骸化したというのか、スケールダウンしてゆく雰囲気を感じた。国立新美術館で見た「ミュシャ展」がこの春最大の見ものだと思っていたが、東博の「茶の湯」展の方がすごい。これほど充実した展覧会はしばらくぶりだろう。圧巻である。

上野に行く前に六本木にある某飲料メーカーの美術館にも立ち寄った。絵巻のコレクターとして知られた昔の著名人関連の作品を並べる趣向。茶道具の来歴と同様に、誰が持っていたのかは作品そのものの理解にはほとんど意味をなさないとはいえ、珍しい切り口で絵巻を紹介する試みだった。とはいえ、東博の茶道具展を見てしまったら、絵巻がアトランダムに並ぶ雑然とした展示の印象はどこかに消えてしまった。



中国や朝鮮で焼かれた陶磁器は日本美の粋といえるのかな?
この中にmade in Japanは1点しかない。



牧谿「観音猿鶴図」(中国製)


伝毛松「猿図」(中国製)


にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村

にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村