懐かしい音源、ベイヌム指揮のモーツァルト「クラリネット協奏曲」

1970年代に日本フォノグラムから発売された廉価版LP「グロリア・シリーズ」は900円というお手頃価格でありながら内容は充実していて、当時は随分とお世話になった。カール・ベーム指揮ウィーン響による「レクイエム」(モーツアルト)、コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による「ベートーヴェン交響曲全集」、グリュミオーハスキルによるベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ「春」/「クロイツェル」、モントゥー指揮ロンドン交響楽団による「白鳥の湖」などの名盤が目白押し、ジャケットも見開きの豪華仕様があったりして、レコード会社の太っ腹ぶりに感心していた。

CD時代が始まって10年ほど経過した1991年、私はそれまでに集めていたレコードを全部処分し、「パチッ」「ポチッ」といった針音ノイズを気にせずに楽しめるCDに切り替えてしまった。LPで発売されていたアナログ録音も続々とCD化されていたから、不自由はしないと思ったのだ。しかし、CDにならない音源もあるわけで、レコードをすべて手放したことをやがて後悔することになった。

そんな、いつまでもCD化されない音源のひとつに、「グロリア・シリーズ」に含まれたモーツァルトクラリネット協奏曲があった。ブラム・デ・ウィルデのクラリネット独奏、エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団による録音である。同じLPの裏面に入っていたフルート、ハープのための協奏曲ハ長調(フーベルト・バルワーザーのソロ、指揮とオケは同じ)は何度かCD化されているのに、クラリネット協奏曲の方はさっぱり。全然CD化される気配がなかった。その幻の音源が最近オーストラリア・デッカにより、ついにCD化された。何十年もの間、待ちわびてきたCDである。私にとっては干天に慈雨、早速取り寄せて聴かせてもらった。久しぶりに聴く演奏はリマスタリングがうまくいったようで、記憶に残るLPの印象とほとんど変わらないのが嬉しかった。かつてはCD化した結果、音が痩せて貧相に聞こえるアナログ音源も珍しくなかったが、Eloquence Australia盤の出来は悪くない。きっとオリジナルテープの保存状態も良好なのだろう。

1957年5月29日、アムステルダム、コンセルトヘボウでセッション録音されたクラリネット協奏曲は、ステレオへの移行が遅れたフィリップスによる収録のため、まだモノーラルである。しかし、有名なホールのアコースティックの豊麗さに助けられ、鑑賞するのに何の支障もない。むしろモノーラルであるための解像度の低さ、しっとりしたほの暗さがこの場合はメリットになっていて、セピア色の昔の写真のような懐かしさを醸し出している。クラリネットを吹くブラム・デ・ウィルデは、当時のコンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者ということ以外詳細は知らない。深々と呼吸する玲瓏な音楽をする人である。指揮者のベイヌムは、ぐいぐいと音楽にえぐりを入れ、彫りの深い演奏を繰り広げている。例えるならば、顔真卿の楷書みたいな骨太でキリっと締まったスタイルに、瑞々しい生命感を加味した音楽。1959年4月、アムステルダムでリハーサル中に心臓発作で倒れ、57歳で急逝した名指揮者の貴重な遺産といえよう。ネット上ではLP盤でこの演奏を聴いた方が「さびしい晩秋を想わせる。ノスタルジックなモーツァルト」とブログに書かれている。的確にこの録音の性格を指摘されていると思う。http://blog.livedoor.jp/boltblues/archives/12952316.html

モーツァルト最晩年の名曲を、ちょっと他には思い当たらないぐらい陰影豊かに彫琢した演奏である。もっさりしない速めのテンポでどんどん進むが、尻上りに感興が増して、万華鏡のような刻々と表情を変える音楽に聞きほれてしまう。青い空の清澄、降り注ぐ穏やかな日差し、木陰を吹き抜ける冷気、流れる雲、舞い散る紅葉。さまざまが交錯して枯葉色に染まる情景を紡いでゆくような雰囲気がある。私にとってはLPを処分して、しまったと後悔し、最も残念な思いにかられた録音だった。フィリップスの音源はデッカに買収されたため、現在はデッカレーベルで発売されているけど、オーストラリアのデッカはいい仕事をしてくれた。購入したCDは2枚組で、ベイヌムの初のモーツァルト・スタジオ録音全集とのこと。棚から牡丹餅じゃないが、ご馳走が一挙に降ってきた気分である。



モーツァルト交響曲第35番『ハフナー』、第33番、第29番、ピアノ協奏曲第24番、他 エドゥアルド・ヴァン・ベイヌムコンセルトヘボウ管弦楽団、キャスリーン・ロング(2CD)

レーベル:Eloquence Australia

Disc1
モーツァルト
1. フルート、ハープのための協奏曲ハ長調 K.299
2. 交響曲第29番イ長調 K.201
3. 交響曲第33番変ロ長調 K.319

Disc2
4. 交響曲第35番ニ長調 K.385『ハフナー』
5. ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
6. クラリネット協奏曲イ長調 K.622

 フーベルト・バルワーザー(フルート:1)
 フィア・ベルクハウト(ハープ:1)
 キャスリーン・ロング(ピアノ:2)
 ブラム・デ・ウィルデ(クラリネット:6)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(4)
 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1-3,5,6)
 エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(指揮)


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