第60回弦楽器フェア

毎年、11月最初の金曜日〜日曜日に北の丸公園日本科学館で開催される弦楽器フェアに行って来た。今年は3〜5日の日程。3日は文化の日で祝日。例年とは異なり初日からかなり混雑したらしい。その反動かもしれないが、チェロの演奏会がある2日目は、少なくとも午前中は空いていた。年々、出品者が減ってブースが縮小傾向にあるフェアだが、今年は9部屋ある1階の展示場の内、7部屋を使ってゆったりと展示していた。例年よりもギター関係が広かったような気がする。

地下のホールで開かれる演奏会は毎日開催されている。ヴァイオリン演奏は毎日あるけど、チェロとヴィオラはそれぞれ1日のみ。今年のチェロ演奏は辻本玲さん、ヴァイオリンは二村英仁さんが担当された(お二人は去年も出演されていたような気がする)。

チェロ演奏会は12時から12時45分、15分の休憩をはさんで13時から13時45分の2回(最初の演奏が早めに終わったので休憩時間は30分ぐらいあった)。最初に弾かれたのは猪子宏明さんのチェロで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲第2楽章を途中まで。しんみりとしたメロディが続く名曲、思わず聞き惚れてしまった。楽器の鳴りっぷりも好調で新作のハンデなどまるで感じさせない。プロはどんな楽器でも弾きこなしてしまうとはいえ、猪子さんの楽器は独特の艶っぽさと音離れの良さで際立っていた。

その後、10本のチェロが次々に登場し、曲目もラフマニノフブリテン、フランク、ベートーヴェンブラームスなどのソナタサンサーンスの協奏曲第1番、ラベル「亡き王女のためのパヴァーヌ」など盛りだくさん。一通り聞いて感じたことだが、テールピースにアコースティック(プラスティック製品)を装着していた猪子さん他3本は、いずれもテカリというか独特の艶のある抜けのいい音を出していて、木製テールピース装着の8本とは一線を画す感じだった。私が楽器調整を依頼しているS弦楽器工房のOさん(日本弦楽器製作者協会の会員)は、チェロのテールピースはアコースティックがイチオシと明言されている。今回、な〜るほどと思ってしまった。音がこもり気味の楽器にアコースティックを付けてやると、一皮剥けたように鳴りが改善されるようなところがあるらしい。ただし、プラスティック特有の艶が音に乗るので、好き嫌いはありそう。

私の場合、メインのチェロには、購入した工房で柘植、黒檀、スネークウッド、ローズウッドなどを順番に装着して様子を見て、最終的にフェルナンブコ製品に落ち着いた経緯がある。その店の店主はプラスティックの質感を好まないため最初から除外していた。現在付き合いのある工房の主人は、プラスティック肯定の立場なので、こんどアコースティックに交換する是非を聞いてみよう。しっとり系で調整してある現状が、より明るくブイブイした感じになるだろうか?

閑話休題。チェロの演奏会の後半に協会会長の園田信博さんと、畏友の伊東三太郎氏の新作楽器が登場した。園田さんのチェロ(2013年のラベル。裏板上部のニスに貫入のひび割れがあった。それなりに使って経年変化した楽器)は密度が高くて、中身がぎっしりと詰まった濃厚な音が出ていた。濃いといってもべたつかず、クリーミーなチーズのよう。音色の傾向は淡白。ミッテンバルトで修行してきた製作者の楽器は共通して生真面目で端正、ストイックなキャラクターを感じさせるけど、園田さんのチェロはその中でも最上級の貫禄を備えている。カーデザインに例えるなら、フェラーリやマセラーティのような華やかさはないものの、ポルシェやアウディの理詰めで緻密なデザイン感覚に通じる世界といえようか。威風堂々のベンツや都会的な洒落っ気が売りのBMWとはちと違う。道具として割り切って使い、趣味性を求めない人にとっては、機能性、信頼性のいずれもが高得点となる。

そういえば、今回のフェアで最初の展示ブースに出展していたタツノヤ商会さんが、カントゥーシャのカルテット(2本のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)を出品していた。4本は同時期の作ではなく、1969年から80年代までばらけていたものの、同一作者による弦楽四重奏が可能という趣向。製作精度が高いと絶賛しているお弟子さんもいるカントゥーシャを弾くのは初めての経験。チェロ(1969年)は浸透力のある陰影感の強い音が清水のように湧き出てくる楽器だった。ヨーロッパのゴシック聖堂のステンドグラスから静かに降り注ぐ赤や青の透明な光のイメージ。公園の噴水のような整えられた放物線を描いて吹き上がる水の動きがイタリアンなら、カントゥーシャはそんな華美な演出とは距離を置く自然派で、柿田川湧水のイメージとでも形容出来ようか。同じ作者のヴァイオリンもそんな感じで、カントゥーシャの孫弟子になる伊藤丈晃さんのヴァイオリン(オールド仕上げ)を触った時にも、類縁性を感じた。ドイツで修行した人と、イタリアで勉強した人の違いは明確で、後者の甘くとろける官能性は前者には期待出来ない。その代わりチャラチャラしたところがない手堅さで直球勝負してくるので甲乙はつけがたい。技術というよりフィロソフィの問題なのだろう。タツノヤさんのブースでは、ガリンベルティのチェロも触らせていただいた。冬眠中の熊が起こされてチラッとこちらを振り向き、また眠りに入ったような印象。長期間放置されてきた楽器なのかもしれない。

チェロの演奏会に話を戻すと、最後(真打?)に弾かれたのは伊東三太郎氏の楽器だった。曲目はラベルの「パヴァーヌ」。展示室で試奏させてもらった時の印象は、いつもどおりのあでやかさ。大輪の牡丹の花が満開状態になったみたいな、ふくよかで甘い香気を放つ柔らかい音と思われた。ところがである。この楽器、ホールの舞台で弾かれた時は別人格に変身していた。えらくエッジがシャープ。くっきりした締まりのいい細身の甘い音が、客席に向かって一直線に飛び出してくるではないか。他の10本のチェロにはあまり感じなかったソリスティックなキャラなのだ。例年の三太郎氏のチェロとは大違いでビックリしてしまった。いつもなら、イタリア流の甘い音がボワーっと拡散して周囲を包み込むところだが、今年はきりっと収斂してピントがシャープにあっている。制作後50年以上が経過した、モダンの領域に入った楽器のような味わいを感じた。

後で作者に理由を聞いたら、表板、裏板の隆起のカーブをより平坦に近づけた結果なのだという。そのように削ると音の締まりが増すらしい。ハイアーチの楽器は音は雅だが音量パワーに難があるとどこかで読んだことがある。平らになるとパワフル、ブリリアント傾向が強まるのだろうか。それと石田ヴァイオリン工房のエンドピン(先端を焼き入れしている鉄製)を装着した効果もあるとのこと(石田さんのエンドピンを三太郎に勧めたのは私なのだが)。三太郎氏は、甘くほんわかした楽器のキャラを、もっときりっと締まった傾向に変えてみようと思っていると話していた。加齢とともに嗜好が変化してくることはあり得る。オイストラフグリュミオーといった美音で有名だった演奏家も、晩年はいくらか辛口の性格の楽器に交換している。そのことを「音を失った」とか言って、演奏技術が低下した結果のように書いている評論家もいるけど、楽器を入れ替えた(つまり演奏家が欲する音の性格が変わった)結果だとは想定していないようだ。70歳近くになって、いつまでも甘トロのままではいられない。とろ〜りと甘ったるい音を出し続けていたら、かえって、どうなのよと思ってしまう。三太郎氏の新作は、還暦を過ぎて新たなステップに踏み出した作者の意欲を物語っていたから、来年以降が楽しみである。

15時30分からのヴァイオリン演奏会は、二村英仁さんと佐藤彦大(さとうひろお)さんのピアノ伴奏で、途中15分の休憩をはさんで17時15分まで、のべ90分の長丁場だった。曲目は重複するものがなく(3日ある演奏会のいずれも重複曲が無いようだ)、全曲暗譜で弾いていた。どのヴァイオリンも、演奏者である二村さんの音に染まってしまい個体差をほとんど感じなかったが、イタリア勢のアンドレア・ヴァラッツアーニさんの楽器のみ、本場イタリアンの甘い官能的なキャラの強さで気を吐いていた。その他の楽器(全部で11本)は、地味というか、大人しいというか、淡白というか、与えられた仕事はちゃんとこなします風の生真面目さが、日本人作家らしいというか。伴奏の佐藤さんのピアノは見事なもので、ヴァイオリニストとぴたりと息が合っていた。佐藤さんの経歴を拝見したら2007年日本音楽コンクール第1位、海外のコンクールでも1位、2位をいくつか獲得している方だった。シュテファン=ペーター・グライナーみたいな買い手を選ぶ作家の新作楽器を使うソリストは別として(グライナーの新作はオークションで4桁、モダン楽器の価格帯で取引される場合がある)、アマチュアでも手が届くクラスの新作によるコンサートを聞ける場は、たぶんここだけだろう。弦楽器フェアは毎年希少価値のある機会を提供してくれるので有難い。

その他、気が付いたことを列記すると、都内で工房を開いている中国人ガンさんはオールド仕上げのヴァイオリンを3本出品されていた。向かって右端に置いてあったストラドコピーはすっきり鳴っていい感じ。他の2本はもっさり。オールド仕上げの外観を見てから弾くと、なんとなくオールド風の音のように錯覚してしまうが、本当のオールドとは別種のもの。オールド仕上げの楽器では平塚謙一さんのヴァイオリン、ヴィオラも巧妙な古色付けに感心した。平塚さんは久しぶりの復帰である。床にベターっと座っておられたが、髭をたくわえて神がかり的な雰囲気がいっそうパワーアップしていた。

イタリアからの出品楽器ではモラッシファミリーのブースに置いてあったジオ・バッタのラベル(1993年)のヴァイオリンに感服。まったくこもらず鼻に抜けるような鮮やかな発音、芯のある弾性を感じる力強さ、そして甘美な艶っぽさ。王道を行く出来だった。83歳になられたご隠居は店には出て来なくなり、シメオネ氏とその息子(ジオ・バッタの孫)による体制に移行しているそうだ。プリンスと呼ばれたシメオネさんも白髪混じりの頭になっておられた。

触ることは出来なかったが、鈴木政吉、宮本金八といった先駆者の方々の楽器を展示するコーナーがあった。武蔵野音大などのコレクション。展示場でえらく上手な人がチャイコの協奏曲を弾いていた。へぇ〜っと思って振り向いたら川畠成道さんだった。



にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村

にほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ
にほんブログ村