ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会

毎年大晦日東京文化会館で行われるベートーヴェン交響曲演奏会を聞きに行った。今年で14回目となるイベントで9曲を番号順に演奏する。31日午後1時に交響曲第1番の演奏が始まり、途中で何度かの長めの休憩があって、最後の第9が終わるのは23時55分ぐらい。オケはNHK交響楽団有志とその他による岩城宏之メモリアル・オーケストラ (コンサートマスター篠崎史紀さん、チェロのトップは藤村俊介さん)。管楽器は曲によってメンバーが入れ替わっていたが、弦楽器は出ずっぱり。曲ごとにトップ以外は席を変えていた。チェロパートに遠目には宮田大さんに似た人がいた。メンバー表を調べたらヴァイオリニスト海野義雄さんのご子息だった。体力勝負になるからだろうか。女性奏者は第1ヴァイオリンに1名、ビオラに1名、オーボエに1名の3名のみ。弦のプルトは7-6-5-4でコントラバスは7名、管楽器は2管編成で第9のみ倍管。第9武蔵野合唱団が出演。

このイベントは作曲家の三枝成彰さんの会社が企画している。2003年にスタートし最初は二つのオケを3名の指揮者が交互に振ったが、2004年/2005年には岩城宏之単独の振るマラソンとなった。岩城没後2006年の公演は1曲ずついろいろな指揮者が担当。2007年から2009年は小林研一郎が全曲指揮を務め、2010年にはロリン・マゼール(!)が登場。2011年から2017年まで小林研一郎による全曲指揮の体制が続き、昨年でコバケンさんは10回目となったそうだ。

連続演奏会があることは初回から知っていた。世の中には酔狂な企画をする人がいるものだと他人事。しかし、12月末にヤフオクにこのチケットを連続出品している人(関係者?)がいるのを知り、急に聞きに行きたくなった。12月30日に入札したら競り合うことなく4枚売りに出ていたC席の1枚を定価で買えた。チケットは当日受付に預けてあったのを受け取った。座席は3階L4列10番台。5000円のチケット代は第9だけ1曲分相当の安い席の値段で、残り8曲が付録で付いてくるようなものだ(5階席は、わずか2500円で売られていた)。デフレ時代を象徴する価格はコスパ的にこれ以上は望めない。いろいろな企業がスポンサーに付いているから実現出来るイベントなのだろう。有難いものだ。

オケの配置はストコフスキー・シフト。私の席からはビオラ、チェロ、コントラバスが正面に見える。ヴァイオリン群は先頭のグループしか見えないものの、指揮者は割とよく観察できた(例の気合を入れる際のうめき声も聞こえた)。文化会館は残響が短いため潤いのあるブリリアントな音は期待できないけれど、L席とかR席はオケを斜め上から見下ろす位置になるため、直接音主体で各パートの細部がきれいに分離して聞こえた。

私の両隣は70歳前後のおじさん。左側の人は交響曲第3番の2楽章から、さかんにあくびをしたり頭をかいたりし始めた。明らかに飽きている様子。ついには演奏中に席を立って出て行った。出入り自由のコンサートとはいえ、少なくとも楽章間まで待つべきだろう。近隣の客にとってはいい迷惑である。その方は4番が終わったところで帰ってしまい戻ってこなかった。一方、私は隣人がそういう状態だったので避難を検討し、同じL列4番台の最も壁際の座席(2名席)が空席だったのを見つけて移動、最後の第9までそこで聞いていた。会場内にはところどころ、まとまった空席列が散見された。S席だからスポンサー企業への招待席なのだろう。

肝心の演奏であるが、炎のコバケンさんによるベートーヴェンがどうなるか、ほぼ予想出来ていた。事前に小林研一郎が指揮するチェコ・フィルによるエロイカのCDを買って予習しておいたのだ。マンネリ化しつつあるピリオド派スタイルとは無縁の古き良き時代の重厚長大型、こってりと濃厚な表情を持った音絵巻が繰り広げられた。

1番はポーカーフェイスでさらりと流した演奏。期待をはぐらかされたというのか、ゆるゆると余裕たっぷりの典雅な運びで、薄墨色のおぼろげな音色を奏でる弦の渋さに感心した。いまだハイドン的な世界を引きずっている曲だから、端正なアプローチは納得出来る。演奏終了直後のブラボー屋の絶叫にしらける。

2番は力こぶを随所に交えた戦闘モードとなり、筋肉質な引き締まった演奏が展開。弦の音がざらつき始め刺激的な要素が入ってきた。テンポはゆっくり目で折衷的な印象も。この曲のポジションもそんな感じだから、それでいいのでしょう。

3番はコバケンさんらしい粘着質のエロイカ。往年の歌舞伎の名優が舞台で大見えを切るのを拝見しているような雰囲気。ドラマトゥルギーに重点を置き、深いところで渦巻く情念のマグマが噴出してくるようなベートーヴェン。今の時代、そういうスタイルの演奏を体験できるのは貴重である。

4番は弦楽器がたっぷりした厚みのある演奏を繰り広げ立派なものだった(9曲とも弦楽器の編成はずっと同じまま)。指揮者はこの曲では3番ほど粘らないが、重量級のずっしりした手ごたえを感じさせた。過度に煽らないので4楽章のファゴットの難所も安全運転で通過。恰幅の良さから、往年のフルトヴェングラーとかムラビンスキーの4番をちらりと思い出す。

4番が終わったところで企画者の三枝さんが登場して15分ほどのレクチャーがあった。興味深い内容のお話の後で、ニキッシュあたりから録音が残っているベートーヴェンの第5交響曲の冒頭の「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」をいろんな指揮者の演奏で録音年代順に聞かせてくれた。フルトヴェングラートスカニーニカラヤン(フィルハーモニアとのモノーラル録音が選ばれていた)、ワルター、セル、バーンスタインブーレーズ(かなりの変わり者で面白いですよと紹介されていた)、ショルティカルロス・クライバー、ヴァント、ラトル(サントリーホールでのライブ録音;三枝さん絶賛の演奏会だった由)、アーノンクールドゥダメルなど。最後に「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」の最後の「ジャーン」は2拍目にフェルマータがついているから、「ジャーーン」ではなく「ジャアアーン」が正しいという主張をされていた。この後45分間の休憩。

5番はコバケンさんの体質に向いているようで、すべての所作が見事に決まる様式美に会場は大いに沸いた。第2楽章の途中107小節から出てくるセカンド・ヴァイオリンの聞かせどころをどう弾かせるか興味津々。5番の全曲中あそこしか日が当たらない可哀そうなセカンド・ヴァイオリンを、かなり大きな音量で朗々と弾かせていた。楽譜の指定はセンプレ・ピアニッシモだが、セカンド奏者的にはうれしい解釈。

6番は軽快な田園散歩とは無縁の重々しいテンポで開始(またもやフルトヴェングラーを連想)。終楽章の祈りの音楽に向けて一歩ずつ着実に進んでゆく足取り。しんみりと田園が終わった後で90分の休憩となった。夕食時間なので三々五々、客たちは外に出かけていった。

7番は芝居がかった語法がかなり目立った。3楽章のトリオなどは大げさに伸ばして引っ張るから、ほとんどギャグに聞こえる。大仰でコテコテな表情が満載。このころにはオケはどんどん調子を上げていて、強奏でコントラバスがバシッ・バシッと唸るのを何度も聞いた。おとなしいビオラが強烈な存在感を主張する場面にも遭遇。草食系のN響主体とは思えない、やる気満々の肉食系オケの熱演に目を見張った。

8番は比較的小規模で、従来の古典的な形式に則っているといわれるが、7番の勢いをかって堂々たる構えの大演奏になっていた(アタッカで全楽章をつないでいた)。ベートーヴェン交響曲で書いたほとんど唯一のメヌエットでは思い切り粘る。ズンドコ節みたいな泥臭い図太さがコバケンさんの持ち味なのだろう。鈍重な演奏になる一歩手前で踏みとどまっている感じ。フゥ〜とため息が出てしまう。

9番はストーリーテラーの手腕に長けたコバケンさんの面目躍如。小林研一郎マーラー演奏は格別という評価があるけれど、濃厚な表情を微に入り細をうがつように音楽につけてゆく体質なら、確かにマーラーには向いている。ベートーヴェン交響曲では第9がこの人のメンタリティに最も適合するのだろう。3楽章の静謐感に満ちた夢見心地を突然断ち切る金管のファンファーレ。覚醒を促すかのように2度繰り返した後で、うねうねしながら分厚い低音を延々と響かせたのには参った。あそこでやるだろうなと予測していたが、そのまんまズバリ。音量をそれほどセーブせず滔々と鳴らしたから寂寥感は感じられず、例えていうなら、ナイアガラ滝を流れ落ちる水の映像を無音状態で眺めているようなイメージ。

終楽章はいろんな仕掛けがあって大変面白い演奏になっていた。トルコマーチの後のフガートは聞きものだが、そこで管弦楽が示した馬力の凄さは圧倒的だった。重戦車が爆走してくるような感じ。本気モードで弾きまくっているから背筋がゾクゾクしてくる。普段はお仕事的な演奏をされる場合が多い方々とは思えないスリリングな真剣勝負を目撃させてもらった。その後もコーラスが極端なピアニッシモで歌ったりと、いろいろと濃い。フォルティッシモを要求する場面では、指揮者は奏者を見つめながら右手の指揮棒を後方の5階席方向に向けて高く振り上げていた。コーラスが高揚する場面では、とうとう合唱団に背を向け、下手側3階か4階の客席方向に振り向いて右手を高くかざす動作も。一瞬、コバケンさんと目線が合う状態になってこちらはビックリ。演奏者に背を向ける動作で一段と盛り上げる指揮者はあまり見かけない。

4名のソリストは舞台奥の下手側に整列。私の席からは、かろうじてバス歌手がちらっと見えた。歌唱がホールの壁を回り込んで聞こえてくるためか、随分と間接音が多く、電気的なエコーを付けたような印象。惜しいことにバス歌手は絶好調とはいえず、滑舌に難があるのかドイツ語の発音がフガフガして迫力を欠いた。いずれにせよ3日前にサントリーホールで聞いた東京交響楽団秋山和慶指揮)の端正な第9とは対照的な、コバケン流表現主義で染め上げられた第9だった。指揮者は9つの交響曲の冒頭はもちろん、それぞれの曲の各楽章が始まる都度、オケに一礼してから演奏を開始していた。感謝の気持ちを伝えられたオケの方々も最後までよく頑張って、一期一会の気迫に満ちたハイテンションな演奏を聞かせてくれた。

23時55分ぐらいにコンサートは終了。拍手喝采のカーテンコールを繰り返しているうちに新年を迎えた。そこでコバケンさんから「2018年が皆様にとって人生最高の年になりますように」との挨拶があった。三枝さんも出てきてこの演奏会は20回まで続けたいとのこと。ということは2023年まであと6回はあるのだろう。休憩時間に廊下の椅子に座っていたら、隣のおじさんがアンケート用紙に記入し始めた。この演奏会に何度来ましたか?という質問欄に10回と書いていた。毎年通ってくる熱心なファンに支えられているようだ。

お開きとなったところで舞台にいるオケの面々は手に手を取り合って互いの健闘を称えていた。ロビーに出ると黒山の人だかりが出来ている。コンマスのマロさんこと篠崎さんら数名がニューイヤー・ロビー・コンサートをするのが恒例だそう。流れ始めた「美しき青きドナウ」を聞きながら会場を後にした。文化会館のスタッフが午前1時で上野駅公園口が閉まるから中央口、入谷口から入るようにとアナウンスしていた。ということは、その頃まで弾いているのだろうか。最後まで現地に残って聞いていたら、マロさんのファンになってしまうだろう。大晦日は鉄道が終夜運転しているとはいえ、快速急行の運行はないから時間がかかる。0時15分ぐらいにJR山手線に乗車、新宿で私鉄の各駅停車に乗りかえ、自宅に戻ったのは午前2時45分。車内にはブラジル人かペルー人のような南米系の人が多く乗っていた。外国にいるようなちょっと不思議な雰囲気だった。


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