「名作誕生 つながる日本美術」展を見る

東京国立博物館平成館で開催中の展覧会を見てきた。有名作家や有名作品を取り上げ、その造形のルーツがどこにあり、どのような影響関係が成立するのかを具体的な作例を並べて示す内容。このようなアプローチは単独作家の展覧会の場合は時々見かけるが、上代から近現代までを網羅し日本美術の全体像を俯瞰する規模でやったのは初めてではなかろうか。現代の日本の美術史研究の一端を垣間見ることが出来る内容といえる。


『国華』という世界最古、最長の月刊美術雑誌の創刊130年記念展だそうで、編集に関わっている面々(東大教授とそのOBが多い)が中心になって企画したという。『国華』は日本、東洋美術史研究の論文を掲載している大型(ただし薄い)雑誌で、今でも旧かな、旧漢字表記を守っている。今時の若手が書いた原稿も明治時代風の文章に変換されて掲載される。「藝術的價値といふものの讀みとれる」「機會もあらうが」「文獻に通じてゐないやうに思はれる」とか。

平成館の2階に国宝、重要文化財クラスの名品が惜しみなく陳列してあったのは東博の底力であろう。普通の展覧会とは気合の入れ方が違う。内容もハイレベルで専門家向け。大学で美術史を勉強している学生、大学院生、美術館関係者などは見逃せない展覧会だが、一般のお客さんは、かなり勉強していないと、この展覧会のそれぞれのコーナーの意義を十分に理解するのは難しいかもしれない。

展覧会図録は過去の同種の図録のコピーみたいな内容も多くて、普通は読む気がしない。しかし、今回は力が入っている。巻頭文は『国華』を編集している主幹、前主幹、東大教授の3名が執筆。そのうち河野元昭・前主幹(元東大教授)の「継承と創造の日本美術」は、含蓄に富む内容を簡潔明瞭に格調高い文体で著してあり、熟読に値する。より若い世代の佐藤康宏東大教授の「つなげてみる―〈名作誕生〉展案内」もよく書いてある。マイケル・バクサンダールという美術史家の言葉を引用した一節は、この展覧会の肝となる部分を端的に物語っている。

すなわち、YがXから影響を受けた場合、注目すべきは元のXではなく、それを受容したYの側が何をしているかにある。真似した要素を咀嚼し、吸収し、自らのものとして再構成するプロセスの解明にこそ美術史家の目的がある云々。素人は(自称美術史家のアマチュアも)二つのイメージに似た要素を見つけると、影響関係を発見したと喜んで、それで納得し、類似性の指摘だけで済ませようとする。しかし、プロの美術史家はそこから仕事がスタートする。似たもの同士を見つけてその事実を指摘するのは子供でも出来る作業である。どこが似ていて、どこが似てないのか、違っている部分はなぜ違うのか?違いは何を意味しているのか?そこまで踏み込んで考えるのがプロなのだろう。

平成館の展覧会は後期展となっていて初期とは作品が入れ替わっている。最初は唐招提寺の木彫(鑑真が連れてきた唐の仏師が作った説が有力)から神護寺の薬師に至る平安初期仏の変遷に関する説明と展示があった。おおらかな造形が、時代が下ると共にマニアックに変化して、最後はコテコテのエモーショナルな仏像に変わる道筋。そのまま進んだら袋小路に入ると思われたが、定朝というスターが出現して状況を一変させる。そういう流れを見せる主旨ではないが、次の普賢菩薩の図像の変化を語るコーナーに定朝スタイルの木彫が出てくるからホッとする。たぶん、平安前期と後期の仏像の様式変化を知っているお客さんなら、そう反応するのを見越した配置だろう。気が利いた演出だと思う。


    パースペクティブを効果的に使った展示。配列、照明、ともに秀逸


雪舟水墨画と中国のそれとの対比も興味深い内容だった。中国画の骨太さ、キリリとしたドライな強さと見比べた場合、雪舟は中国の手本をよく研究してスタイルを同化させているものの、全体像はどことなく柔らかく潤いを帯びている。日本人の絵だなぁと思う瞬間。

宗達が平安絵画のパロディを得意にした作家だったことは昔から知られているが、それを現物で確認させる展示とか、若冲が模倣した中国画(鶴の絵)と並べて両者の違いの意味を考えさせるコーナーも面白い。形象は海を越えて移動可能だが、それを生み出した土壌は動かせない。若冲は形を写す名人芸の持ち主だったが、元の形を生み出した精神世界は写し取れなかったようだ。最後の岸田劉生の代表作である「切通の写生」と北斎国芳らの浮世絵にある坂の表現の相関性の提案なども興味深い。久しぶりに内容がぎっしり詰まった展覧会を見せてもらい大満足。

帰りに東博本館の常設展に寄ったが、相変わらず外人がいっぱい。平成館からの渡り廊下を抜けると明治以降の日本美術展示室に入る。そこで見た下村観山の「春雨図屏風」大正5年(1916)は見ごたえがあった。六曲一双屏風の画面下半分、横一直線に橋の欄干を渡し、和傘をさした着物姿の女性たちがすれ違う場面を描いている。振り向く顔を隠す演出が上手い。間の取り方の妙味。欄干や傘の骨の線を引く技術に唸ってしまう。こういう肥痩のない均一な線は現代の日本画家は描けなくなった。シンプルな構成であるためか素通りしている客が多かったが、見事な線を引く筆力に感嘆。


それにしても平成館でのあか抜けた洒落た展示に比べると、本館はなんと古臭く、かび臭い空間だろう。観光に力を入れているフランスでは、美術館として活用している古い建物の内部を改装し、洗練された展示環境をしつらえているけれど、東博は古さが味わいにならず、古臭いテイストを充満させている。日本を代表するミュージアムにしては情けない。代々の楽茶碗を展示するコーナーでは、黒いクロス張りの展示ケースに長次郎の黒楽を置いていた。薄暗い照明で見せる黒の上の黒。


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