「万葉集」は暗い時代を封印している?

「令和」フィーバーも一段落したようだが、専門家の意見がかしましい。たとえばこれ。

https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

 

今回、注目を集めた「万葉集」巻第五、大宰府長官・大伴旅人邸における宴会の背景にある政治状況が解説されている。

 

「令和」の元ネタの張衡「帰田賦」は権力者への批判を込めて書かれたそうだ。役人だった張衡は皇帝の取り巻きから疎まれて田舎に左遷された人物だとか。屈折した思いが込められた「帰田賦」を下敷きにした「万葉集」の問題個所は、大宰府が都から遠い左遷地であったことを考えると、「帰田賦」と同じ種類の苦味を含んでいるらしい。

 

万葉集研究の大家である某先生は3月になってから選者に指名され、「令和」を提出したのは3月20日頃という。TBSの番組に出演した田崎史郎氏の話では、出そろっていた案が安倍総理の気に入らず、いずれも却下され3月になってから再提出の依頼を出し、その際に万葉集の学者にも声がかかった(安倍総理が却下したという話になっているが、気に入らないと仰ったのは別の人物かもしれないという解釈がある)。

critic20.exblog.jp

 

改元スケジュールを考えれば、締め切りが迫る中でバタバタしていたようだ。おそらく3月頭には総理の意中の案で本決まりになっていたのだろう。マスコミにリークされ、特定の文字に対する期待感、予想人気が盛り上がっていたのは、そういうこと。しかし、既定路線を覆すことが出来る人物の意向により本命はボツ、慌てた政府からピンチヒッターとして頼まれたのが某先生だったと思われる。

 

その辺のことは時事通信も伝えている。以下引用

 

政府説明、実態と乖離=「令和」の選定過程

4/3(水) 7:10配信

時事通信

 5月1日施行の新元号「令和」について、政府は1979年制定の「元号選定手続」に基づき選定したと説明している。

 しかし、説明の内容は実態と乖離(かいり)しており、将来の改元に向け、選定過程の透明化を求める声も上がりそうだ。

 政府の表向きの説明によれば、政府が元号選定手続に基づいて動き始めたのは3月14日で、この日に元号候補の考案を有識者に初めて委嘱した。候補が集まると、菅義偉官房長官は(1)書きやすい(2)読みやすい(3)俗用されていない-など6条件を基に整理し、安倍晋三首相に報告したとされる。

 首相は4月1日のテレビ番組で、菅長官からの3月の報告の中に令和があったとし、「大変新鮮な響きがあると思った」と語った。

 残りの手続きを進めたのは4月1日。菅長官は午前9時11分に横畠裕介内閣法制局長官の意見を聴いて原案数個を選び、同11時25分までに、有識者懇談会、衆参両院正副議長からの意見聴取、全閣僚会議、閣議を一気に行った。いずれの場でも令和への異論はなかったと説明している。

 しかし、関係者の証言を総合すると、実態は異なる。

 政府は、はるか以前に有識者元号候補の考案を非公式に依頼。100に迫る候補を官房副長官補室の金庫で代々保管し、考案者が亡くなるたびに新しい候補を補充してきた。これらを精査し、原案を六つに絞り込んだのは4月1日ではなく先週だった。

 さらに、首相は2月以前に元号候補を見せられ、意中の元号案を事前に固めていたのではないかとの見方が政府内では強い。令和に異論はなかったとの説明に反し、野党出身の郡司彰参院副議長が、意見聴取の場で「季語の入った万葉集(を典拠とする案)はどうなのか」と疑問を呈したことも分かっている。

 1989年の前回改元の際も、政府は極秘に作業を進め、1月7日に一気に「平成」を選んだ。しかし、これは昭和天皇が7日朝に逝去するまで「死を前提にした作業」を公にできなかったからだ。今回は憲政史上初の天皇退位に伴う改元で、前回とは事情が異なる。

 菅長官は2日の記者会見で、選定過程が不透明との指摘に対し「元号制定手続に基づいて行っており、批判は当たらない」と反論したが、与党からも「なぜあれほど隠す必要があったのか」(公明党幹部)と疑問の声が出ている。 (引用終わり)

headlines.yahoo.co.jp

 

********************

「令和」の典拠となった序に秘められた政治的意味を考慮すれば、この案が選ばれることはなかったのではなかろうか。時間切れ直前に届いた案に関して、事前漏洩を恐れて秘密裏に事を進めていた関係者は、十分な吟味をするいとまがなかったのかもしれない。歴史は歴史家の数だけあるといわれる。解釈の仕方によってはまったく別の景色が見えてくるのが文献の面白いところだが、今回は辛口の物議が提起されうる素材から引用したのは確かなようだ。「令」が命令の令とか巧言令色の令とか、そんなレベルの話ではない。

 

ちなみに「令和」の次の元号は予測出来そうだ。経世会の竹下総理が平成の元号を決め、清和会の安倍総理が令和と決めた。

 

けいせい → へいせい

 せいわ  → れいわ

 

どちらも派閥の名前の韻を踏んでいる。次の元号も派閥がヒントになるだろう。

 

 

 

 

 

 

   にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ

にほんブログ村