バロック音楽は様変わりだが

今週の土曜に開催される某公民館祭りに出演する弦楽アンサンブルのホームページをみたら、来週以降に練習する曲の一部がちらっと掲載されていた。

モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」、ヴィヴァルディのバイオリン協奏曲ト短調 Op.9−3(RV334)

モーツアルトは以前にバイオリンで弾いたことがある。ヴィヴァルディの協奏曲 はまったく知らない。作品9ということは「ラ・チェトラ」と呼ばれる12曲セットの3番目。手元にあるCDはイ・ムジチのヴィヴァルディ・エディション(作品1から12までを網羅したセット)の1964年録音だけ。「調和の幻想」とか「和声とインベンションの試み」なら何種類も持っているが「ラ・チェトラ」はイ・ムジチの昔の録音しか買ってなかった。

さっそく聞いてみたら、短調の曲らしくメロディにほの暗い陰りが感じられ、切迫感もあって、なかなか面白い。通奏低音にオルガンを使っているのも好印象。ソロはアーヨ(当時31歳)。たぶん、新作楽器のカピキオーニを使っている。(有名な「四季」の録音では、25歳のアーヨが、完成後3年目の若い楽器を弾いている)http://www.sarasate.net/cd/ayo.html

イ・ムジチのセットを買ったのは10年以上前だが、「調和の幻想」と「四季」以外は未聴のままだった。ヴィヴァルディは多作家で、似たような曲が多いから丁寧に聞いていなかった。「四季」の人気に隠れている知名度の低い名曲がまだまだあるのだろう。昔、評論家のM先生は、コレッリテレマンと比較して、この作曲家を衒学的とこきおろしていた。私はそういう冷たく整った形式美も悪くないと思っている。漆塗りのお椀と比べて、カットガラスの杯はクールで温もりが足りないとケチを付けるようなものだろうか。メンバーが30歳前後と若かったこの時代のイ・ムジチの朗々と鳴る演奏で聞いていると、冷たさが中和され、なかなかいい塩梅だと思う。

ところで、バロックの世界では、古楽器(またはそのレプリカ)を使ったピリオド・スタイルの演奏がすっかり定着した。半世紀も前の イ・ムジチの録音などは、時代遅れもいいところで古色蒼然ということになるのだろうか?

われわれはモダン楽器で演奏するのでピリオド風とはいかないし、弾けといわれても、あんな風に弾けるものではない。結局、参考になるのはイ・ムジチのイタリア風カンタービレをたっぷり効かせて、情緒纏綿、朗々と歌うスタイルの方である。

いまでは、こういうスタイルでバロック音楽をやるプロは絶滅したかもしれない。しかし、イタリアのピリオド派は演技過剰というか神経質というのか、意表をつく効果を狙い過ぎて聞き疲れする。当人たちは他とは違うことをしているつもりなのだろうが、結局は似たり寄ったり。それこそペダンチックで、一回聞いたらもうたくさんというタイプが少なくない。モダン楽器を使う現代のイ・ムジチですら、そんな風潮に接近しているから、演奏が類型化して個性が失われつつあるようで残念である。演奏スタイルは時代とともに変化してゆくが、いい演奏は古臭くはならない。スタイル云々の差を乗り越えて生き残ってゆく。50年代末から60年代のステレオ初期に収録されたイ・ムジチの録音集を聞くと、つくづくそう思う。




にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村