コロンブスの卵

渦中のSTEP細胞について「そんなに簡単にできるのであれば、なぜ、今まで誰も発見していなかったのだろう」という疑問を持った人もいるだろう。ここでいう「簡単」のレベルがどの程度かは、わたしは知らない。しかし、一見、簡単にみえる作業には、文章化が難しいコツ(職人芸)が必要だったりする。卑近な例をあげれば、日本料理の基本のだしの取り方とか。昆布やかつお節を煮出すだけのシンプルな作業で、素人でも出来る簡単さだが、プロがやると(!)コーヒーを入れるのも簡単。でも味が違うから嫌になる。能力を持つ人が簡単そうにやっている行為の中には、そうでない人には歯がたたない場合もある。チェロの演奏もそう。鍵さえあれば扉は簡単に開くが、誰もが鍵を簡単に手に入れられるとは限らない。

なぜ、今まで誰も発見していなかったのかという疑問もなるほどだが、コロンブスの卵の話もある。ある日、誰もが知っている常識的事実の背後に、それまで誰も気が付かなかった別の意味が隠されていることに気付く人が現れ、一同、自分たちは今まで何を見ていたのやら、目からうろこが落ちる思いをする、なんてことは(めったにないけど)、全くないわけではない。それまでの常識をひっくりかえす非常識を打ち立てる研究が望まれているのだが、実際には容易ではない。

手垢がつくほど研究しつくされた(と思われている)メジャーなテーマに関して、これまでとは違う画期的な新説を打ち立てた場合、テーマが大きくなるほど同業者たちの関心も高くなる。学会発表でもやれば、賛成・反対、いろいろな反応がくるから、学力の他に精神的な強さ(胆力)も必要になってくる。この手のコロンブス的研究には、発想の転換が出来る柔らかい頭が必要で、お固い真面目人間(=ほとんどの学者)には無理。

業績を増やしたい若手の中には、そんな着想力もないので、安全圏内でお茶を濁そうとする人も出てくる。これまでに誰にも扱われていないマイナーなテーマを発掘してきて研究対象にする人が増える。するとどうなるか?どーでもいい2流どころの重箱のすみをつつくようなしょうもない内容の論文が増えてくる。そんな論文でも、1本は1本。業績としてカウントされる。たぶん、ほとんど読まれず、読まれたとしてもスルーされてしまう程度の仕事が増えている。わたしが知っている某学会は、だいぶ前からそんな状態になっている。会員数3000名弱の規模でこの有り様。

かつての綺羅星のようなマイスターらは死に絶えて、その薫陶を受けた世代も引退し、今では小者ばかりが幅を効かせている。博士号の値打ちも落ちたもので、昔なら、ベテラン教授が退官前後にそれまでの業績をまとめて学位論文に仕立て、学者人生の区切りとして取得していた学位が、今では駆け出しの若手にどんどん与えられている。

以前、とりあえず原稿用紙で1000枚書けば出すと母校の教授から真顔で言われたことがあった。内容はともかく、分厚い紙をとじた体裁があればいいのだと。笑止千万だが、そんなお手軽、促成栽培の博士が増えたのも事実である。もちろん分野によって事情は異なるだろうが1980年代以後は、昔のような大先生のステータスではなく、研究者としてスタートラインに立つ資格を得るだけのことになった。その程度の論文なんだから、ケチをつけようと思えば、いろいろ突っ込みどころはある。未熟ゆえに足りないところは注意してやり、温かい目で見守ってやらないとね。

記者会見で証拠を出さなかったのはけしからんという意見が少なくないようだが、ガサツな雰囲気の中、学問的には素人であるマスコミ相手に、どう説明せよというのだろう?スポーツ新聞の記者も下世話な質問をしてくるようなところが、貴重な研究の要点を公開する場としてふさわしいとは思えない。あそこで手の内を見せる必要もない。学問のことは学問の世界で決着をつければいいのである。



◎コピペ問題はこちら
       ↓
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140415-00124347-newsweek-nb



◎博士号取得者の能力の問題についてはこちら
       ↓
http://www.sangakuplaza.jp/page/371212



◎共同研究者からみた小保方さんの研究姿勢はこちら
       ↓
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20140410/392288/



理研という組織の性格についてはこちら
       ↓
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140410-00010006-bjournal-bus_all




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