論文にミスはつきもの

小保方さんの記者会見を生中継を見ていたが、大騒ぎするほどの問題ではなかろうと思った。質問者の中には、悪事を働いた容疑者を叩くように語気を強めて糾弾調で騒ぐ人もいた。すぐに司会者の弁護士が遮って、話のやりとりを中止させていたが。学問上の問題に関して、冷静に話せず、興奮して大声で喚くような人は場違い。どこの記者か知らないが、品位なさ過ぎ。

問題視されている点は論文の書き方、画像の見せ方のミスにあったようだ。研究の核心部分は、理研が論文発表以前に特許申請をしていることから考えれば、間違いないのだろう。あそこのベテラン専門家チームが検証して特許へのゴーが出たことだろうから、嘘で塗り固めた研究だとしたら、理研内部で気がついたはずだ。

論文に使用した画像は、加工して見やすくしたもので、パワーポイント用の画像を間違って選んだとの説明だった。内輪の検討会での使用なら問題なかろうが、それが外部に出た場合、加工行為が第三者にどういう印象を持たれるかの予測に甘さがあった模様。ご本人は研究全体が改ざんと思われかねない危険性に気がついてないのだから、世の中の人を性善説で考えていたのかもしれない(大学とか研究機関には、時々浮世離れしている人物はいる)。

研究ノートが2冊しかないからけしからんという話も、理研の人が聞き取りに来た時、そばにあった2冊を持っていったが、少なくとも5〜6冊はあるとか。そういう話を聞くと、理研の調査報告も結論ありきの作文に見えてくる。

だいたい、論文なんていうものは、細かいミスがつきまとうもの。若手がいきなりパーフェクトな論文を書いたりするのは難しい。あとで、あそこはもうちょっとなんとかしたかったと思うことは毎回あるものだ。単行本では増刷するたびに、細部の改定を加え修正を積み重ねている人もいる。何事もそうだが、これでいい、もう手直し無用と満足する仕事なんて、なかなか出来ない。最後は(締切日になり)忸怩たる思いで諦めるだけである。

わたしが懇意にしている元名古屋大学教授は、現役時代に学会誌に連載していた論文の最後に、「前号掲載論文のどこそこを一部訂正します」というお詫びの告知文を、次号の論文末尾によく書いておられた。そういうことが頻繁にあったので、あの先生もお忙しくて大変だねと思っていた。

あるいは、掲載した論文の結論がまるで見当違いだったことを外部から指摘され、 全面的に書きなおした訂正論文を載せた人もいた。間違った結論を発表してしまったことは、曖昧にぼかしてゴニョゴニョと書いて、むしろ新知見が手に入ったので訂正するみたいな書き方でお茶を濁していたが。 今では彼も大手国立大学准教授、なぜか学会では一度も研究発表のステージに乗らない。質疑応答の時間が恐ろしいのかもしれない。





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