チェロのレッスン  120回目

8月22日の発表会で何を弾くか、しばらく迷っていたが、バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」に決めた。バッハの深さを体験してしまうと、ヴィヴァルディなどはやる気が出ない。S先生にお話したら、「チェロのために、別格の音楽をよくぞ6曲も書き残してくれたものです」と仰っていた。同感である。

プレリュードから弾き始めたが、ウニのような刺のあるバッハになっていたらしい。音が攻撃的でグサグサと突き刺さってくるからで聴き疲れするそうだ。弾いている方も気合を入れすぎて、実は息が詰まりそうだった。どんどん切迫してゆくので、ゆとりがない。

先生からは、この曲にどういうイメージを持っているのかという質問が。同じ質問は、これまでにも何度かされている。その都度、「楽譜に書いてあることを音にしているだけで〜す」とそっけなく回答する私。

今回は、先生がなおも食い下がってこられるので、しばらくこの問題で話し合いとなった。先生の模範演奏は肩の力が抜けてさらっと歌い流す軽快な風情。神棚に奉り、うやうやしく拝むバッハではない。人が歌うように、十分に呼吸しながら、豊かに息づく音楽になっていた。そういうスタイルも悪くないのは分かるが、私の好みではない。

私が弾きたいバッハのイメージは、ボタンを押すと音楽がスタートし、最後まで滞り無く自動演奏する機械みたいな感じ。人間的な情感とか温もりとかは洗い落として漂白し、メカニカルな構成美が前面に出るバッハ。感情的要素を消去したドライな音楽(対極に演歌がある)。しっとりと濡れたようなソフトタッチは拒否。と、まあ、そんなことをお話したら、先生は「な〜るほど。それでレッスンの最後には穏やかに弾けるようになっても、次のレッスンでは、また角張ったバッハに戻ってしまっていたのですね」。

四角いガラスモザイクをきっちりと隙間なく埋めた床面に、北窓からの外光が差し込んで、冷たく光っているようなイメージがある。色はモノトーン。淡いグレーのデリケートな階調があるぐらい。

・・・そんなことをお話ししてから、もう一度、プレリュードを弾いたら、今度は聴きやすくなったと先生。歌わないバッハを弾いた私も疲れなかった。壁を塗る漆喰職人がスベスベな平滑面を出ししてゆくようなイメージで弾いてみたのだ(tranquilloということ)。S先生からは、「今の感触を忘れずに」との講評をいただいた。先生との対話を通して、私の中にあったイメージがより明確になり、結果として弾き方や音質が変化した。メンタルな側面のケアの重要性を認識したレッスンだった。




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