チェロ・アンサンブル#85

O先生のレッスン、5月の2回目。4名が出席。サポージニコフ教本は102番と103番の2曲をうやった。102番は下のパートに出てくる16分音符の大量の連続が難物で、移弦を伴いながら一弓のスラーで16分音符を6個ずつまとめて弾くのが大変だった。かなり練習しないと滑らかに弾けない。続く103番も下のパートが重音続きで難しい。上のパートは親指を柔らかくして弦の上をすべるように長距離のポジション移動を繰り返す課題となっている。こちらもなかなかに厄介である。サポージニコフの100番台はいずれも一癖あって勉強になる。

 

レッスン後半は、ショスタコーヴィチ「2本のヴァイオリンのための5つの小品」をチェロ用に書き直した楽譜を使ったレッスンの2回目。私が手書きでヴァイオリン譜を1オクターブ下げたものと、2オクターブ下げたものの2種類を作成している。今日は2曲目の「ガボット」と3曲目の「エレジー」の譜読みをした。ファーストのパート譜を1オクターブ下げた場合、ハイポジションが多発して演奏の難度が高まる。五線譜の上に4~5本の線を重ねる必要があるから、魚の骨みたいのがいっぱい付き出ているというメンバーもいた。読みずらいのでテノール記号譜にした方がいいのかもしれないが、私自身テノール記号の譜面を読むのが苦手のためヘ音記号のまま強行している( ´艸`)

 

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2オクターブ下げた譜面は音符が五線譜の中で収まって弾きやすいが、音が下がりすぎ鈍く重くなってしまうから、演奏効果の面ではよろしくなさそう。ということで2オクターブ下げた楽譜は不採用とし、1オクターブ下げの譜面で統一することにした。ファーストの1オクターブ下げの楽譜は2曲目までしか完成していない(メンバーの演奏技術を考慮するとハイポジ多用の曲はいかがなものかと思われたのだ)。急遽残りを作ることになった。セカンドパートの方は音域がやや低めのため、1オクターブ下げでも書き直ししやすく、2オクターブ下げヴァージョンとともに4曲目まで作ってある。5曲目まである2パートの組曲を手書きでト音記号からヘ音記号に1オクターブ下げと2オクターブ下げで書き直す作業は、全部やると5×2×2=20種の楽譜の束を作ることになる。実際は5曲目の2オクターブ下げ楽譜は作らないから18種類で終わりそうだが、B,2B,4Bの鉛筆を使い分けて、定規を当てながらの作業はなかなか・・・五線の1本線を見間違えて3度ずれて書くミスを時々やらかすし。原譜と見比べる校正は一応やってるのだが、弾いてみるとオヤ~っ?となったりして。困ったものだ。

 

 
 

弦楽四重奏#5

毎月1回開催する平日弦楽四重奏団、4回目の練習に出た。4月6日にモーツアルトの4番を公開演奏したので、今日から新しい曲、ハイドン弦楽四重奏曲第76番ニ短調 op.76-2」(エルデーディ四重奏曲集の2番目、通称「五度」)に着手した。第1楽章の冒頭で五度の主題が示され、同じモチーフが楽章全体のあちこちにちりばめられている。エルデーディ伯爵の依頼で作られた四重奏曲集(6曲セット)には有名な「皇帝」の他「日の出」「ラルゴ」などの呼称を持つ曲が含まれている。2度にわたるイギリス旅行からウィーンに帰って最初に書かれた作品だそうだ。64歳になったハイドンの円熟の境地を示す力作とのこと。 
 
今日は初回ということで最初の2つの楽章を合わせた。第1楽章の指定はアレグロだが、モデラートのテンポで弾き始めた。私が担当するチェロパートはシンプルに書かれていて、リズムを正確に数えていればなんとかなるが(なんとかならない箇所もあったけれど)、十六分音符のかたまりが、次々に雪崩のように押し寄せてくるファーストヴァイオリンは大変そうだった。1Vnの指導者さんは余裕で弾けちゃうとはいえ、横で見ていると思わず、ムムム・・・となる。

曲の冒頭、フォルテ指定がある8分音符をどう弾いたらよいか?カチッとした硬いアクセントじゃなく、ずしんと地底から響くような低音が欲しいそうだ。弓の運動量を増やし速いストロークから得られるフォルテが望ましいとのことだった。その他、チェロへの注意事項としては、8分音符が28個連続した後に出てくる4分音符が短くなりがちで低音の支えが弱くなる傾向があるとか、141小節のヴィオラとチェロが半拍ずれて交互に出る部分(画像)、プロ女性が弾くヴィオラの美音を聞いていると、ヴィオラにシンクロしたがるとか・・・(汗)  
 

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リズムを数える場合、単純に機械的に数えるのではなく、音楽的な意味を考え、全体の中で縦の線をそろえる注意箇所は特に慎重になど、いろいろな課題が出た。続いて第2楽章も合わせた。8分の6拍子の曲である。チェロパートには8分休符がやたら目立つ。ズン・チャッ・チャの刻みを意識してリズムの崩れを回避していたが、長いフェルマータが連続し、その次に出てくる付点16分音符と32分音符で一瞬つんのめって転びそうになった。慣れれば解決できるだろう。
 
次回も第2楽章までをさらうことになった。 弦楽四重奏団を結成して5か月、毎月1回合わせてきているのでお互いの呼吸がわかってきたというのか、最初の頃に比べると(細かい点はともかくも)新曲がほぼ一発で合うようになってきた。途中で焦って「ウギャー(?)」とかの嬌声を発しながら、それでも落ちずに弾いている人もいて、なかなか面白い。
 
ハイドンの音楽は端正で高品位なイメージがあるけれど、「五度」もシンプルで明快、含蓄に富む味わいに満ちている。ハイドンモーツアルトほど甘味料を使わず、音楽を水にさらして不純物を流し去り、あく抜きしたような清潔な作品を書いた。 
 
今日は弦楽四重奏の練習が始まる前、午前中にピアニストに来てもらい、シューマンの「3つのロマンス」作品94とショスタコーヴィチ「2本のヴァイオリンのための5つの小品」(ともにヴァイオリン演奏)を合わせてもらった。いずれも8月に都内であるコンサートで演奏する予定である。シューマンは3曲ある中の1番と3番が私の担当で、2番はもう一人の女性が弾く。ピアノパートは単なる伴奏ではない。華やかでドラマチックな音楽を奏でている。これにヴァイオリンが絡んでいくわけだが、元がオーボエ曲のため重音とかはないけれど、長いフレーズでのブレスが難しい。8月までにピアノ合わせがあと3回はあるので、なんとかなるだろう。以前、同じ曲をチェロで弾いた時よりヴァイオリンの方はるかに弾きやすいと思った。
 
ショスタコはヴァイオリン2本、ヴァイオリンとチェロ、チェロ2本など、いろんな組み合わせで演奏出来る曲である。こちらは2本のヴァイオリンの合奏も上々で、何度かピアノ合わせを繰り返せば、こなれていくだろう。今日は午前10時半から午後3時まで、みっちり4時間半の練習をした。関係者の皆様、お疲れさまでした。 

今週の日曜に聞きに行った弦楽(+クラリネット)アンサンブルからのお誘いに応じて参加表明したら、さっそく指導者さん(平日弦楽四重奏団の第1Vn)から、ヴァイオリン譜の束を頂戴した。シュターミッツ「クラリネット協奏曲」、バッハのドッペル3楽章、アンダンテ・フェスティーボ、ヴィヴァルディ「夏」、パッヘルベル「カノン」その他、13曲もあった。
 
 
 

城下町の室内合奏団演奏会を聞く

県内の城下町で活動するアマチュア室内合奏団の定期演奏会を聞きに行った。弦楽器(ヴァイオリン4名、ビオラ1名、チェロ1名、コントラバス1名)7人とクラリネット1名、合計8人の合奏団である。この中に私が参加している弦楽アンサンブルの指導者(ヴァイオリン)とヴィオラ姫がいる。会場にはそちらのアンサンブル仲間が他に4名来ていた。演奏会場はサロン的空間。ちょっと前に私もここで弦楽四重奏の演奏をやった。お客さんは40名ぐらいだろうか。ほぼ全員出演者の縁故関係とお見受けした。プログラムは以下・・・

 

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1.メンデルスゾーン「春の歌 」

2.星に願いを

3.ソングオブライフ (TBSの「世界遺産」という番組のテーマ曲)

4.シューベルト「軍隊行進曲 」

5.モーツアルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

6.ヴィヴァルディ「春」〜1楽章

(休憩)

7.海の見える街 (ジブリアニメ「魔女の宅急便」から)

8.秋桜さだまさし

9.ラフマニノフ「ヴォカリーズ」

10.フォーレシチリアーノ」

11.バッハ「ドッペルコンチェルト」〜2楽章

12.カール・フィリップエマニュエル・バッハシンフォニアハ長調」〜1楽章

 

アンコール「花は咲く」

 

14時開演〜15時20分終演

 

皆さん気持ちよさそうに豊かな音量で朗々と弾いておられた。8名が目いっぱい弾くから狭い会場は音が飽和気味で、終始フォルテで聞かされている印象がなきにしもあらず。モーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はソットヴォーチェではなく、ミュートをつけずにガッツリ弾いたせいか、ねじれるような半音階の動きがシュールに聞こえた。

 

後で同行のアンサンブル仲間に聞いたところ、クラリネットが混ざっているため、音量が大きな(弱音を出すのが苦手な)管楽器に合わせたのだろうとの解釈。弦楽アンサンブルに管楽器が混ざると、そういうことになるわけか・・。去年まではフルート奏者もいたそうだが、今年はクラリネットのおばさまが一人で頑張っていた由。そのクラリネットの暗い音色は弦楽器によく溶け合っていた。バッハでもヴィヴァルディでも本来は聞こえないはずのクラリネットが混ざっても違和感は少なく、珍しい体験をさせてもらった。

 

休憩時間に旧知のヴァイオリン指導者さんから入団を勧誘された。毎月1回、日曜日に練習し、年に数回の公開演奏をやるそうだ。練習曲目はややこしくなくて楽しそう。参加するとしたらヴァイオリン? チェロ?・・・と乗り気になる私。チェロアンサンブル、弦楽アンサンブル2団体、平日弦楽四重奏団の合計4つの掛け持ちになるが大丈夫か?

 

 

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チェロ・アンサンブル#84

O先生のレッスン、5月の1回目。5名が出席。サポージニコフ教本は101番の1曲のみを丁寧に教えてもらった。25小節の短い練習曲で「旋律的エチュード、ポジションの移動練習」と題されている。上下2パートになっていて、1番チェロは指のポジションは比較的簡単なのと、少し高度な2種類を選択できるようになっている。2番チェロは重音が出てくるので滑らかなボーイングが要求される。

 

こういう基礎力が試される曲では、他の楽器、たとえばピアノを弾けば上手な演奏を聞かせるのに、チェロを弾くと頼りなさげというか心細い音しか出ないとか、ボーイングで脱力出来ず、不要なアクセントが頻出してギクシャクするとか、文章に例えれば句読点の点やマルが異常に大きいみたいな不自然な弾き方をする人が少なくない。自己流の変な癖があると個人レッスンの先生は矯正のための細かい指導をしてくれるが、グループレッスンではそれはやらない。ということで、皆さん、グループレッスンと個人レッスンの両方で同じO先生に教わっている。基礎は個人レッスンで、アンサンブルで合わせる練習はグループレッスンでと。毎月、3~4回はO先生に教わっていることになる。

 

後半はショスタコーヴィチ「2本のヴァイオリンのための5つの小品」をチェロ用に書き直したレッスンの1回目をやった。チェロ用譜は市販されていないので、私が手書きでヴァイオリン譜を1オクターブ下げ、2オクターブ下げの2種類を作成した。ヘ音記号譜からト音記号譜に移動する作業は時間がかかり、ゴールデンウィークはこの作業に多くの時間を費やしてしまった。今日は1曲目のプレリュード。とりあえず通すだけは通せたが、音色、音量、歌い方など細かいことを言い出すときりがない。次回以降に持ち越して、2チェロズみたいに弾けるよう努力しましょう。

  

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PCソフトによる楽譜作成で失敗した経験から B,2B,4Bの鉛筆で

手書きした方が早いと判断したが、すごく時間がかかってしまった。

 

 

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                ・・・・皆さん、表情が濃い(^^;)

 

 

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平日ピアノ・トリオ

今日は14時から3時間ほど、最近知り合った大変上手なアマチュアピアニスト(子供のころからピアノを習ってきた男性)と一緒にチェロ仲間宅に参上して三重奏を楽しんだ。チェロ仲間は音楽教室の講師歴が長い人。自宅の音楽室にグランドピアノ、アップライトピアノ、エレクトーン、チェロ2本が置いてあり、防音対策済。ご近所に遠慮なく演奏を楽しめる環境を備えている。

 

私はヴァイオリンを持参。まずはショスタコーヴィチの2本のヴァイオリンのための5つの小品を、ヴァイオリンとチェロ、次にチェロ2本の組み合わせでピアノと合わせてみた。元がヴァイオリン曲なので、チェロで弾くには1オクターブか2オクターブ下げた楽譜を作る必要がある。両方作成してみたが、曲によっては1オクターブか、ヴァイオリンと同じ高さで弾いた方が感触がよかった。2オクターブも下げてしまうと鈍くなり過ぎる。

 

続いてシューマンの3つの小品をヴァイオリンとチェロで合わせてみた。オリジナルはオーボエとピアノの曲で、ヴァイオリンで弾くと音域が重なって楽だった。チェロ友が弾くのを見ていたがかなり大変な様子。譜面はほとんどテノール記号。

 

その後はチェロ友が「愛の賛歌」を合わせていた。ヴァイオリンにせよチェロにせよ、ピアノ伴奏付きで演奏出来る機会はめったにないので有難い。教室の発表会などでは相手はプロのピアニストだから緊張するし、リハーサル時間も限られてくる。今日のような仲間内でやる場合はリラックスして弾けるし、細かいところの修正もお願いしやすいから助かる。ピアノを弾いてくれた男性は自宅マンションにスタインウェイのピアノを置いているそうだ。しかしマンションゆえ大きな音が出せず、ほとんど電子ピアノで練習中とか。なのでガンガン弾いても大丈夫で楽しかったとのこと。最近定年退職して暇になったから時々合わせたいとの意向だった。われわれも似たようなものだから、平日弦楽四重奏団に続いて平日ピアノトリオを結成することにした。そのうちハイドンピアノ三重奏曲にチャレンジしてみようと思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=FNKPIo6TBKY

 

 

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ノートルダムの再建案が面白い

 先日の火災で焼け落ちた屋根の再建案。ノートルダムを一気に若返らせるプランである。石造建築の屋根をガラス張りにする手法は、1900年パリ万博の際に作られたグランパレを連想させる。最近ではベルリンの国会議事堂の修復がある。いずれも室内への採光を考慮しているが、ノートルダムは天井を塞ぐだろうから採光機能は不要で、屋上に空中庭園を設置するようなものだ。

 工場で量産した鉄枠に板ガラスをはめたプレハブ工法の温室風巨大建造物は、1851年ロンドン万博(世界で初めての万博)のクリスタルパレスあたりが嚆矢だろう。19世紀当時は鉄もガラスもハイテク素材のイメージがあって、それらを組み合わせた透明な構造体は、万博という未来志向の会場にふさわしいものだった。21世紀の現代でもガラスが斬新なイメージを放つ点は、パリが石造建築で埋め尽くされた都市ゆえのコントラストを考慮しても、人間が受ける感覚がたいして変わっていない証左となるだろうか。ルーブル宮の中庭にガラスのピラミッドを作ったように、新旧を融合させる大胆なデザインはパリらしくて面白い。災い転じて福となす。実現したら観光客がさらに増えるだろう。旧弊にとらわれない発想が出て来るところがかの国の強み。日産もルノーと合併したら体質改善が進んだりして・・・

 

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屋根がガラス張りの「グランパレ」

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グランパレ内部

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ノートルダムのガラス屋根の内部(案)

   

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ドイツの国会議事堂

 

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ドイツ国会議事堂のガラスドーム内部

http://sakainaoki.blogspot.com/2019/05/blog-post_13.html

 

 

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この書評は痛快!「政府は実質、自分で何かを決めたことも、率先して対策を練ったこともない人々の吹き溜まりである」

『僕にもできた! 国会議員』(山本太郎=著 雨宮処凛=取材・構成)書評

 理想主義者の代名詞に「ドン・キホーテ」というのがあるが、山本太郎ほどこの称号にふさわしい男はいない。通例、揶揄のニュアンスが付いて回るが、徒手空拳で巨悪に突撃してゆく蛮勇こそ現在の政治家に最も必要とされる素質である。その理想は憲法に忠実で、あるべき政治道徳に則り、国民に安全で健康な生活を確保しようとする高潔なものだ。国会には七百人以上の議員がいるが、山本太郎と何人かの例外を除けば、ほとんどの議員が多数派の頭数合わせと己が既得権益を守ることしか頭にない。山本太郎が理想主義者として浮いてしまうこと自体が政治の退廃、劣化の証左になっている。

 山本太郎の六年間の議員活動はちょうど安倍政権の悪政と重なるが、この間に悪政があまりに自明のことになってしまい、有権者のあいだに諦めムードが広がり出した。もちろん、野党議員たちは国会や委員会で政府の対応を批判し、数々の疑惑に対する真相究明を続けているが、首相はじめ政権担当者たちは呼吸するように嘘をつき、公文書の改竄と偽造は当たり前、幽体離脱したかのように当事者意識を欠き、一様に記憶喪失に陥っている。もう少し道理を知っているはずの男たちも、破綻の予感を抱きながら、傍観している。政府は実質、自分で何かを決めたことも、率先して対策を練ったこともない人々の吹き溜まりである。

 結果、財政破綻は秒読み、廃炉への道は遠く、放射能はアウト・オブ・コントロール、外交、安全保障政策も全て裏目に出た。無為無策の首相や子どもの使いの外相を置き去りにして、国際政治の謀略は容赦なく進行する。相手の厳しい次の一手には対応できそうもない。貧困問題もいよいよ深刻になり、生活苦を強いられた庶民のあいだから、怨嗟の声が上がる。純粋な理想主義者がムチを入れなければ、政府はピクリとも動かない。

 首相とその不愉快な仲間たちは官房機密費を使って、マスメディアを籠絡し、世論操作することも、内閣人事局を通じて、官僚を丸め込むことも、首相権限を振りかざして警察や司法に圧力をかけることもできるが、その絶大な権力を使って、やることといったら、自分たちの不正、失策を隠すこと、アメリカ大統領のパシリとして貢ぎ、日米安全保障条約および日米地位協定憲法の上に置き、この国の占領状態を維持し、その利権で私腹を肥やすことだけだ。山本太郎は活動資金も限られ、官僚やマスメディアを操ることはできないが、彼には有能なブレーンがついていて、ボランティア的に彼をサポートし、戦略を授けてくれるので、国家権力を私的に濫用する極右政権相手のゲリラ戦はかなり奏功しているといっていい。そのゲリラ戦の主戦場は国会中継で、政府側が誤魔化しと嘘でしどろもどろになる中、舌鋒鋭く切り込んでゆく様子はまさに「山本太郎劇場」だ。山本太郎は質問を通じて、被災者支援等で政府に善処を促すことに成功している。

 有権者が無知で無関心でいる限り、悪政は続く。礼儀正しく、おとなしく、他人を攻撃せず、空気を読む。そんな人々の沈黙の同意によって、不正が見逃される。右でも左でもない中立の立場でいる限り、極右の専横は容認される。そうした「無関心な人々の共謀」をいかに打破するか、それが問題だ。もし、それに成功すれば、政権にとっては致命傷になる。待望されるのは政治の不毛を笑い飛ばしつつ、常識を覆すリベラルのトリックスターである。

 六年前に俳優から政治家に転身した時、彼自身が一般の無関心層と変わらない素人だった。だが、謙虚に勉強を続けるうちに堂々と無能な為政者たちに正論を突きつける市民視線の政治家になった。ここ六年間の山本太郎の軌跡は、「王様は裸だ」といえる正直者の素人にしかこの国は変えられないということを如実に示している。「山本太郎が首相になる」と聞いて、「まさか」という人は政治の本質をまだわかっていない。実際、極右マフィア政権が六年も続くという「まさか」を見てきたのだから、その反動から山本太郎首相の誕生は十分あり得ると考えなければ、やってられない

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           http://www.webchikuma.jp/articles/-/1710

 

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