パリのノートルダム大聖堂の火災

昨夜、パリのノートルダム大聖堂で火災が発生した。尖塔が焼け落ちる映像を見ていて唖然だったが、同時に長年の疑問も解消した。パリ市内の聖堂でよく見かける屋根の上の尖塔は透かし彫りみたいな繊細な構造になっている。あの材質が何なのか、ずっと疑問に思っていた。石造なのか?黒っぽい色のものもあるから金属製?しかし、今回の火災であれが燃える様子からフレームは木製と判った。高さ90メートルの尖塔は比較的新しく、19世紀の建造という。

 

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かなり昔、日曜日にあそこに行った折、ピエール・コシュローのオルガン即興演奏を聞いた。ブワーっと図太い低音が唸り、空間がねじれるような不思議な響きが交錯する現代音楽だった。また、クリスマスイブに訪れた時は、深夜のミサが大変な賑わいで、外まで人が溢れていた光景を思い出す。昔は汚れて黒ずんでいた外壁をクリーニングし、随分ときれいになったものだと感心したり。

 

大聖堂の火災は時々あったようで、ケルンの大聖堂も13世紀に焼けている。歴史の一コマと思っていたが、リアルに見られるとは。第二次大戦の空襲で丸焼けになった街を元通りに復元するのがヨーロッパ。エッフェル塔凱旋門オペラ座と並ぶパリのシンボルだから、きっと元通りに直すだろう。・・・と思っていたら、再建する尖塔のデザインを19世紀の建築家ヴィオレ・ル・デュクが手掛けたプランのままとするか、あるいは現代風の新しい形状に変えるかという議論がもう起こっているらしい。前向きというか、再建するなら創造的な要素を盛り込みたいという発想が出るのは、さすがフランスというべきか。

 

  

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弦楽合奏#29

ほぼ毎月1回ある公開演奏会で弾いてきた。会場はいつもの練習場所近辺の自治会館。その地域の公民館や自治会館では「ふれあいサロン」という名のイベントを定期的に開催し、地域住民(高齢者)が20~30人ぐらい集まる。われわれは地域に6つぐらいある自治会館の「ふれあいサロン」を巡回して弾いている。その他に老人の介護施設や幼稚園でも演奏する。

 

今日の会場は2階建てで、2階の大広間(畳敷きの座敷)に椅子をならべて演奏した。ファースト・ヴァイオリン4名、セカンド3名、ヴィオラ1名、チェロ3名という変則的な構成での演奏だった。演目は昨年から継続中のいつものレパートリーである。聞いている聴衆は毎回違うが、弾いている方は同じ曲を少なくとも6回繰り返すため新味がなく、ルーティン化してくる。年度も替わったから、そろそろメニューを変えるだろう。

       

 

 ① いつでも夢を    

 ② 青い山脈      

 ③ 故郷(ふるさと)  <聴衆が一緒に歌う>

 ④ 七つの子      <歌>

 ⑤ みどりのそよ風   <歌>

 ⑥ エーデルワイス   <歌>

 

「楽器紹介」ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ

 

 ⑦ にっぽん昔ばなし

 ⑧ 結婚ワルツ

 ⑨ 黒い瞳

 ⑩ ユモレスク

 

(アンコール) 赤いスウィートピー

 

演奏の途中で楽器紹介のコーナーがあり、それぞれのパートから一人が出てソロを披露する。ヴァイオリンの紹介では指導者が弾くのが恒例だったが、今回は私が指名された。ヴァイオリンの細かい説明は不要と考え、「ミュート」という道具を使うと音がどう変わるか、その具体例をお聞かせすることにした。最初はミュートなしで「さざえさん」のテーマ曲のさわりをちょっと。弾いているうちに聴衆のおばさんが歌い出した。歌う人のリズム感が私と食い違っているため、ちょっとビックリ(急に歌い出したので焦った)。次にミュート(ゴム製と木製)を2個見せてどういう目的の道具かを説明。その後、駒に木製ミュートをはさんで、実際に音が変わるところを実演した。曲は「夜来香(イエライシィアン)」。数年前に別の合奏グループに参加した時、この曲を二胡で演奏し、チェロによる伴奏を手伝った際に楽譜をもらってあった。ミュートを付けたヴァイオリンで弾くと、ちょっと二胡風の霞んだ音色が出るから、この曲にふさわしいと思う。途中でグリッサンドなんぞを混ぜながら、二胡の人たちがやっていた柳腰スタイルで演奏してみた。

 

自治会館の駐車場は狭くて5台ぐらいしか止められないとのこと。車両数を減らす必要があり、メンバーの人と同じ車に乗り合わせて行った。会場までの往復路は、わざと遠回りし、のどかな田園風景の中を流れる渋田川の土手の桜並木を見物しながら走行した。数キロの距離になるだろうか、どこまで走っても満開の桜の大木がずらっと並んでいた。川辺には菜の花もいっぱい咲いていて、黄色とピンクの対比が綺麗だった。土手に植えられた桜はソメイヨシノが一番多かったが、八重桜もかなりあり、その中にギョイコウ(御衣黄)の大木が3本混ざっていた。そこだけ薄黄緑色の八重咲の花を咲かせているため、遠目にも目立っていた。一方通行の土手の上の細い道を走行したが、車窓の外は桜の花でいっぱい。手が届きそうな距離に咲いていた。今週は水曜と金曜に弦楽合奏の練習と演奏会があったので、2回お花見が楽しめてラッキーだった。

 

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弦楽合奏#28

冬に戻ったかのような寒さの中、いつもの練習会場に向かう道すがら、車に乗り合わせたメンバーさんとお花見しようということになり、遠回りして桜並木の下を通行したり、川の土手に並ぶ桜を見物しながら出かけた。練習後の帰りも山頂に展望台がある観光地に寄り道し、山道の両側の散り始めていた桜並木を見物した。雨天だったので落下した花びらで道路はピンク色の絨毯。今年の桜の見納め。

 

前半の基礎練習は以下のメニュー

 

①十六分音符と付点八分音符が混在、一部にスラーが付いていたりして

リズムの刻みを考えさせるオリジナルの課題曲

 

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ヘンデル「水上の音楽」の序曲 弦楽合奏版 

個人的には学生オケで弾いて以来、久しぶりの曲

 

 

後半の曲の練習 は・・・・

 

①Mozart 「アイネ、クライネ、ナハト、ムジーク」~1楽章

(何度目かの練習だった。私はセカンド担当に回っている)

 

レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリア」~イタリアーナ

(このグループでは初めてやる曲。私にとってはこれも学生時代に弾いて以来のなつかしい曲)

 

北の国から

 

レイト揃いのセカンド・ヴァイオリン・パートは、もたつくのが常で今回も例外ではなかった。特に初めて弾くヘンデルレスピーギの曲は、いかにも自信なさげで、オズオズ、ヘロヘロ、スカスカの音で弾いていた。ヘンデルレスピーギも聞きなれたメロディはファーストに持っていかれ、セカンドは対旋律を弾くから、ファーストより難しいところがあるため、気の毒な感じもする。

 ファーストの末席、セカンドのトップのすぐ横(つまり両方のパートの中間)に座ることにしている私は本来はファースト担当だが、この頃はセカンドを補強するため、そちらの譜面をバンバン弾いている。セカンドの人たちが互いに顔を見合わせるというか、オズオズして入りがもたつきそうな箇所は率先して突っ込むことにしている。指導者のダメ出しを予測して、先回りする切り込み隊長みたいな役割。

 

 

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平日弦楽四重奏団のお披露目演奏

某SNSのコミュニティが主催するオフ会に出た。私が去年から参加した弦楽アンサンブルで知り合ったヴァイオリンの人から声をかけられ、一緒に始めた弦楽四重奏団のお披露目演奏をした。彼はSNSのグループの管理人をやっておられる。

 

城下町にある民間ホール(サロンといった方がよさそうな小さな会場、ベーゼンドルファーのグランドピアノが置いてあった)に集まったのは21人。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、フルート、リュート、ピアノ、ギター、太鼓を弾く人たちがソロをやったり、アンサンブルを組んだりで12時半から16時半までの4時間、次々に演奏を繰り広げた(お客はいないのでこの日の出演者が聞いている)。10時からリハーサルをしたから7時間近い長丁場だった。1人(1団体)の割り当て時間は12分程度度のため一部を抜粋したヴァイオリン・ソナタ弦楽四重奏、フルートコンチェルトなど12演目が次々に披露される盛りだくさんのプログラム。

 

ヴァイオリン奏者が多かったが、リハーサルを聞いていると随分と大きな音を出す人が続出するから感心した。伴奏のベーゼンドルファーに対抗して一歩も引かない様子なのだ。会場が狭いからそんなに大きな音を出さなくても聞こえるのにと思ったけれど、皆さん気負っていたのかもしれない。

 

音の出し方、弾き方にはそれぞれ個性があって面白かった。粘っこい音を大音量でブワーっと響かせ、湿り気を帯びたリズムでこってりと歌う人が多い印象を受けた。アマチュアのヴァイオリン奏者にわりとよく見かけるタイプだと思う。チェロは私を含めて2名。もう一人の男性はフォーレのエレジーを上手に弾いておられた。

 

私が参加している平日四重奏団はモーツアルト弦楽四重奏曲第4番を演奏した。モーツアルトの初期の曲だから、リズムの切れがいい小粋なスタイルが好ましい。チェロの音量は控えめにして軽く弾いた。低音をズンズン響かせる音楽ではないのだ。われわれは1月から毎月1回3時間、合計9時間合わせてきた。合奏の場数を踏んでいるので、それなりにまとまりはよかったと思う。

 

もう一組、モーツアルト弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387『春』KV.387(ハイドンセットの中の1曲)の第一楽章をやったチームがあった。われわれの演奏と比較すると、そちらは後期ロマン派みたいなこってりとした厚みのある演奏をしていた。

 

オフ会では突発枠で正規のエントリー曲ではない演奏も披露する。私はヴァイオリンを借りてモーツアルト「鏡」「ミラーカノン」の2曲を弾いた。二人のヴァイオリン奏者が、同じ楽譜を上下ひっくり返して頭と尻尾から弾く曲である。お相手は平日弦楽四重奏団のセカンド女性。初めて弾く借り物の楽器を使い、リハーサルなし、ぶっつけ本番で合わせたが、弦楽四重奏の練習で顔合わせしてきた相手のせいか、呼吸を合わせやすかった。「鏡」では尻尾から弾き始める段取りの彼女が、間違えて頭から弾き始め、二人がユニゾンになるアクシデントもあり笑いを誘っていた。聴衆の話ではチャーミングな演奏になっていたそうだ。さらに本番前日にメールで頼まれたバッハの2台のヴァイオリンのためのドッペルコンチェルトのチェロパートも担当した。この日の出番は3回となった。

 

次回のオフ会は8月25(日)に都心の民間ホール(サロン)で開催するという。真夏の暑い盛りにチェロ担いで出ていくのはしんどいが、ハイドン弦楽四重奏曲「五度」を披露する予定だから休むわけにもいかない。

 

打ち上げの席でわりと近所に住んでいるピアノ弾きの男性(定年で暇になった60歳、上手な人)と知り合い、次回のオフ会でヴァイオリン曲かチェロ曲の伴奏をやってもらうことになった。しかし、ヴァイオリンで演奏する場合、電車移動で(=手持ちで)チェロとヴァイオリンの両方を持っていくのは難しい。また誰かのヴァイオリンを借りればいいか。あるいはチェロ曲を弾くか・・・。

 

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チェロ・アンサンブル#82

O先生のレッスン、4月の1回目。6名が出席。サポージニコフ教本は94番から97番までをさらった。後半はチェロ4重奏用に編曲されたメンデルスゾーン「結婚行進曲」の3回目の練習。担当パートをローテーションしたので私は3番担当に。

 

次の課題曲としてモーツアルトが書いた冗談音楽「ミラーカノン」と「シュピーゲル(鏡)」をチェロ用譜面に手書きで書き換えて使う予定。楽譜を上下反転して頭と尻尾から弾くと2名で合奏可能な曲である。ヴァイオリンも弾けるメンバーに楽器を持参してもらい、皆さんのまえで試演した。ぶっつけ本場だったのでずれてしまいうまく合わなかったが、雰囲気は伝えられた。

 

フィナーレという楽譜作成ソフトを持っているメンバーにお願いし、ヴァイオリン用の楽譜(ト音記号)をチェロ用(ヘ音記号)に機械的に変換してもらうことにしたら、ヘ音記号が3度低い場所に記入された楽譜が届いた(つまり曲全体が3度下がっている)。何故そうなるのか?当人も首をかしげていたが使えないからボツ。面倒だが私が手書きで楽譜を作ることになった。原曲のト音記号譜は上下反転させて使えるので1枚作製すればいいが、ヘ音記号に書き直すとひっくり返すと音が違ってくるのでそのままでは使えない。ト音記号譜を反対側から読んでヘ音記号に写す譜面を新たに書く必要があり、合計4枚書き出すことになった。

 

 

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「万葉集」は暗い時代を封印している?

「令和」フィーバーも一段落したようだが、専門家の意見がかしましい。たとえばこれ。

https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

 

今回、注目を集めた「万葉集」巻第五、大宰府長官・大伴旅人邸における宴会の背景にある政治状況が解説されている。

 

「令和」の元ネタの張衡「帰田賦」は権力者への批判を込めて書かれたそうだ。役人だった張衡は皇帝の取り巻きから疎まれて田舎に左遷された人物だとか。屈折した思いが込められた「帰田賦」を下敷きにした「万葉集」の問題個所は、大宰府が都から遠い左遷地であったことを考えると、「帰田賦」と同じ種類の苦味を含んでいるらしい。

 

万葉集研究の大家である某先生は3月になってから選者に指名され、「令和」を提出したのは3月20日頃という。TBSの番組に出演した田崎史郎氏の話では、出そろっていた案が安倍総理の気に入らず、いずれも却下され3月になってから再提出の依頼を出し、その際に万葉集の学者にも声がかかった(安倍総理が却下したという話になっているが、気に入らないと仰ったのは別の人物かもしれないという解釈がある)。

critic20.exblog.jp

 

改元スケジュールを考えれば、締め切りが迫る中でバタバタしていたようだ。おそらく3月頭には総理の意中の案で本決まりになっていたのだろう。マスコミにリークされ、特定の文字に対する期待感、予想人気が盛り上がっていたのは、そういうこと。しかし、既定路線を覆すことが出来る人物の意向により本命はボツ、慌てた政府からピンチヒッターとして頼まれたのが某先生だったと思われる。

 

その辺のことは時事通信も伝えている。以下引用

 

政府説明、実態と乖離=「令和」の選定過程

4/3(水) 7:10配信

時事通信

 5月1日施行の新元号「令和」について、政府は1979年制定の「元号選定手続」に基づき選定したと説明している。

 しかし、説明の内容は実態と乖離(かいり)しており、将来の改元に向け、選定過程の透明化を求める声も上がりそうだ。

 政府の表向きの説明によれば、政府が元号選定手続に基づいて動き始めたのは3月14日で、この日に元号候補の考案を有識者に初めて委嘱した。候補が集まると、菅義偉官房長官は(1)書きやすい(2)読みやすい(3)俗用されていない-など6条件を基に整理し、安倍晋三首相に報告したとされる。

 首相は4月1日のテレビ番組で、菅長官からの3月の報告の中に令和があったとし、「大変新鮮な響きがあると思った」と語った。

 残りの手続きを進めたのは4月1日。菅長官は午前9時11分に横畠裕介内閣法制局長官の意見を聴いて原案数個を選び、同11時25分までに、有識者懇談会、衆参両院正副議長からの意見聴取、全閣僚会議、閣議を一気に行った。いずれの場でも令和への異論はなかったと説明している。

 しかし、関係者の証言を総合すると、実態は異なる。

 政府は、はるか以前に有識者元号候補の考案を非公式に依頼。100に迫る候補を官房副長官補室の金庫で代々保管し、考案者が亡くなるたびに新しい候補を補充してきた。これらを精査し、原案を六つに絞り込んだのは4月1日ではなく先週だった。

 さらに、首相は2月以前に元号候補を見せられ、意中の元号案を事前に固めていたのではないかとの見方が政府内では強い。令和に異論はなかったとの説明に反し、野党出身の郡司彰参院副議長が、意見聴取の場で「季語の入った万葉集(を典拠とする案)はどうなのか」と疑問を呈したことも分かっている。

 1989年の前回改元の際も、政府は極秘に作業を進め、1月7日に一気に「平成」を選んだ。しかし、これは昭和天皇が7日朝に逝去するまで「死を前提にした作業」を公にできなかったからだ。今回は憲政史上初の天皇退位に伴う改元で、前回とは事情が異なる。

 菅長官は2日の記者会見で、選定過程が不透明との指摘に対し「元号制定手続に基づいて行っており、批判は当たらない」と反論したが、与党からも「なぜあれほど隠す必要があったのか」(公明党幹部)と疑問の声が出ている。 (引用終わり)

headlines.yahoo.co.jp

 

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「令和」の典拠となった序に秘められた政治的意味を考慮すれば、この案が選ばれることはなかったのではなかろうか。時間切れ直前に届いた案に関して、事前漏洩を恐れて秘密裏に事を進めていた関係者は、十分な吟味をするいとまがなかったのかもしれない。歴史は歴史家の数だけあるといわれる。解釈の仕方によってはまったく別の景色が見えてくるのが文献の面白いところだが、今回は辛口の物議が提起されうる素材から引用したのは確かなようだ。「令」が命令の令とか巧言令色の令とか、そんなレベルの話ではない。

 

ちなみに「令和」の次の元号は予測出来そうだ。経世会の竹下総理が平成の元号を決め、清和会の安倍総理が令和と決めた。

 

けいせい → へいせい

 せいわ  → れいわ

 

どちらも派閥の名前の韻を踏んでいる。次の元号も派閥がヒントになるだろう。

 

 

 

 

 

 

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改元で計算が厄介?

元号「令和」の「令」の解釈をめぐっていろんな意見が出ている。英語表記も「Beautiful Harmony」あるいは「Order and Peace」とかいろいろ。Order=命令の「令」だったとしても何が悪いの?と主張している人もいる。念のため「召集令状」を受け取り戦地に行かれた方々に「令」のイメージを聞いてみたらどうだろう。

 

それはともかく、「令月」なんていう洒落た名詞があるとは不勉強で知らなかった。しかも皇太子殿下の誕生月2月の異称とはよく考えられている。選者といわれる中西進先生の周到さに感心するが、もっと出来過ぎなのは以下のブログの内容ではなかろうか。

 

 ・・・・・・・

 

「令和」は『万葉集』巻第五、大宰府長官・大伴旅人邸における宴会での、梅花を詠んだ歌三十二首の序から採った、とのこと。

 

 「序」の文脈。これを、2019年の今に持ってくると、「忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足」が、超アットウ的に面白い。

 

揶揄ふうに読み換えると、「部屋の中での密談はさっさと忘れ、お友だちと胸襟を開いてゴルフでもすれば気分はサイコー。知らん顔してやりたい放題やれば、気持ちよ~く自己満足♪」って、だれかさんたちにドンピシャで当たってこない?

 う~ん、この候補を考えた学者さん、なかなかやるわい。

bluegourd.jugem.jp

  

TVでは平成生まれの人に街頭インタビューし、自分が生まれた年を平成〇年と答える人が多いので元号になじんでいると伝えていた。改元による時間軸の断絶がもたらす不具合を経験してない世代は、元号使用に抵抗がないのだろう。 

昭和生まれは改元の不便さを体感している。運転免許証が西暦と元号の併記になったのはその対策、銀行も通帳記入が西暦に変わったところがある。平成へ改元した時に、数えやすいという理由で西暦使用に重心を移行した人も少なくないだろう。 身近なものを調べたら、役所が配布するゴミ収集日のカレンダーは西暦表示、書店で買い求めたカレンダーも西暦表示、平成〇〇年とあるのは納税関係の書類、免許証、健康保険証、硬貨ぐらいだった。

「令和」改元により昭和世代は2度目の不連続を経験することになり、元号離れが進む可能性も考えられる。平成世代も改元がもたらす不便さを感じる日が、まもなく来るだろう。59歳になられた皇太子殿下の年齢を考えると、譲位が慣例化した場合は2044年あたりにお代替わりが予想され、四半世紀後にまた改元、次の秋篠宮殿下(皇太子殿下より7歳若い)の在位は短くなるので2051年あたりにまた改元、昭和生まれは4回目、平成生まれは3回目の改元を経験することになる。将来の予想とはいえ、相当ややこしくなりそうだ。 

 

先のことはともかくとして、私の運転免許証の有効期限が平成33年になっていて、令和だと何年?と変換が面倒に思われた。しかし、平成31年から30をマイナスすれば令和1年になるから意外に換算は簡単だった。

 

平成31年ー30=令和元年

平成32年ー30=令和2年

平成33年ー30=令和3年

平成34年ー30=令和4年

 

改元平成31年のタイミングに決めた人は偉い!

 

西暦換算する場合、歴史学者から教えてもらった語呂合わせは・・・

 むなしい明治(+67)、いい大正(+11)、にごれる昭和(+25)、

やばい平成(+88)だった。

 

令和は(+18) 18をどう読み替えるか。

いやしい令和? いやな令和?? いばる令和???

 

 シンプルに「レイワ/018」がよろしいようで。

 

  

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