弓の毛替え

フレンチモダン弓(Joseph Arthur Vigneron)の毛替えをした。弓の毛を替えると作業時に弓に負担がかかるし、発音性能や音色のテイストも違ってくる。また、下手な職人にやらせると半月リングの金具に傷をつけたり、歪ませたりするから、うっかり頼めない。なので、私は無水エタノールで古くなった松脂を落とすなどして、毛はなるべく替えない主義だが、ヴィネロンの毛は弓を購入した2011年の時点ですでに古かった。最近ではさすがに発音が鈍くなってきたので交換となった。

これまでに何度か弓の修理でお世話になった都心にある工房に電話したら、午後は予約が入ってないから、その場で1時間ほど待てば仕上げてくれるという。店主は弓を見るなり、節のある木を上手に加工している作家の手腕をほめた。弓先にある節は折れる危険性があってよくないそうだが、手元にある節は削りが難しいものの、味のある音が出る弓になるとも。癖のある木材でも使いこなしてしまう19世紀のマイスターの腕は、さすがだと語っていた。

これまで張ってあった古い毛を見て、毛量がサルトリーのヴァイオリン弓程度しかないとも指摘。私のヴィネロンのフロッグは小型で横幅が狭く、確かに太目のヴァイオリン弓のフロッグの幅に近い。ヘッドの幅も狭いので一般的なチェロ弓より毛量が少なく設定されているそうだ。毛量が少ない弓の音は、クリアで木材本来の音色が出やすいという。パワーは多少おとなしくなるが、音の質で勝負するタイプなのだろう。

フロッグを分解したら半月リングを差し込む部分の黒檀が、長年の摩耗ですり減って、かなり薄くなっていた。すぐに修理が必要なほどではないが、いずれ黒檀の剥片を接着する手当てが必要になるそうだ。1890年頃の作なので120年ほど使われているから、そんなものだろう。貝スライドも汗が染みこんで周囲が白濁化していた。そういう汚れは、水で湿らせた綿棒で擦ってやると、傷んだ部分がポロポロと取れてきれいになるとか。自分でやってみたら、確かに汚れが取れてすっきりした。

ヘッドの毛を差し込む孔をのぞいた店主は、中に鉛が仕込んであるという。ヴィネロンの竿は細身で軽く作られている。80g前後の重量にするため銀線を重めに巻いてあるが、バランスを取るためヘッドにも重りを仕込んであるそうだ。そんな解説を聞くと、この弓の素性がだんだん分かってきて勉強になる。

店主は用意してあった毛の束を持って、パラパラと引き抜いては落としていった。床にどんどん白い毛の束がたまってゆく。使えない死んだ毛を選別しているのだという。落とされた毛はざっと3割ほどになった。蒙古産の馬毛を使っているそうだが、当たりはずれがあって、ひどい場合には8割以上がダメだとか。そんな時には、選別していて、がっくりと疲れると語っていた。

通常より少ない量で毛が束ねられ、その束を水に濡らして帯状にしてから弓に装着していった。毛を束ねる時に火を使ってあぶる職人もいるが、こちらは糸で結んで接着剤をちょっと付けていた。弓に毛を装着してから乾燥機の吹き出し口から出ている乾いた空気に濡れた毛をあてて、よく乾燥させて作業は完了。今回は弓の刻印がある側(弦と接触する側)のテンションを高めに張ったという。弾いているうちに毛が伸びて、テンションが平均化してくるので、1〜2週間は様子を見てほしいとのことだった。

自宅に持ち帰って缶べルを塗って音出しをしてみた。毛のテンションが左右で違うので、若干竿が横に反る気配があってうれしくない。変な横反りの癖がつかないか問い合わせたら、今の湿気が多い時期なら、使っているうちに毛が伸びて丁度良くなるとの回答。それでも気になるので、張りの強い側の毛に櫛を当てて伸ばそうとしたが、馬の尻尾は丈夫で簡単には伸びない。しょうがないので、1本ずつ指でつまんで引っ張ってみた・・・キリがないので途中でやめた。

毛束の左右のテンションを完全に均一に張ると、ボーイングがすこぶる安定して弾きやすい。しかし、そういう張り方は難しい。若くして亡くなった杉藤浩司さんは、それが出来た方で、私は神技的な毛替をしてもらい、完成度の高い弾き心地に驚いたことがある(残念ながら、現在の杉藤に依頼しても、前社長の冴えた技は再現出来ない)。あのレベルの仕事をする工房が、どこかにあればいいのだが。

張り方に難があるとはいえ、新しい毛に交換して音色は粗さのあったタッチから、まろやかで繊細なものに変わった。替える前よりも毛量が若干少ないので、音量面ではおとなしくなったが、エレガントで上品な音色はオールド弓ならではの味わいである。

新作剛弓も手元にあるから、音量が欲しい場合は新作で。音色を重視する場合はオールドでと、使い分けるのはこれまでどおり。使い分けるといっても、健康でタフな新作弓を使う場合が大半で、ヴィネロンの出番はめったにない。古い弓は竿の消耗に気をつかう。フロッグの摩耗状態を知ったので、なおさらである。私にとっては、使うための道具というより、所持するためのお守りみたいな弓である。


上がヴィネロン、下は新作弓







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