ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2018

2017年に引き続き大晦日東京文化会館で行われるベートーヴェン交響曲演奏会を聞きに行った。2003年にスタートして、今回が16回目となるイベント。31日午後1時に交響曲第1番の演奏が始まり、途中で何度かの長めの休憩があって、最後の第9が終わるのは23時55分ぐらい。オケはNHK交響楽団有志とその他による岩城宏之メモリアル・オーケストラ 。コンサートマスター篠崎史紀さん。第1ヴァイオリンは7プルト(読響のコンマスが後ろの方にいた)、第2が6プルトヴィオラは5プルト、チェロは4プルトコントラバスは7名、管楽器は2管編成で、最後の第九のみ4管に増員。第9のコーラスは武蔵野合唱団が出演。指揮者は例年同様に小林研一郎さん(11回目)。

 

毎年夏に発売されるチケットは短期間に完売し買いそびれた。今回も12月29日にネットで売られていた5階R2の30番台を手に入れた(定価2000円の券を4932円で購入)。残響がドライな文化会館の5階席は音響は悪くない。舞台に最も近い上手側壁際の5階席からはコントラバスヴィオラはほとんど見えないが、ヴァイオリンやチェロは斜め下にずらっと見下ろせる。弦楽器群の音が面積を持った広がりとして聞こえてくるし、管楽器やコーラスもダイレクトに聞こえる席だから、音に関しては不満はない。去年は3階L4列10番台の席だった。第九のソリスト4名は下手側の壁に近いところにいたから姿は見えず、声も壁を回り込んで妙な残響が付いて聞こえた。今年はソリストと真正面に向き合う位置関係となり、立ち居振る舞いもよく見えたし、声もストレートに明瞭に聞こえた。

 

交響曲を9つ演奏して2千~2万円のチケットはいかにも安い。トヨタ自動車SMBC日興証券ハウス食品など、いろいろな企業がスポンサーに付いているから実現出来る価格とのこと。主宰者の三枝さんがスピーチでそのことに触れられていた。オケのメンバーのギャラは4日分相当を支払っているそうだ。ひとりで何枚も買って12月になってから2倍以上で転売し、小遣い稼ぎをする人が表れるわけである。

 

 演奏中に気になったのは、通路を挟んですぐ隣の席の客が次々に入れ替わること。4名分ぐらいが空席になっていたので、他の席から移動してくる人がいたようだ。休憩ごとに違う人が来るから落ち着かない。そのうち正規のチケットを持った4人組が来たが、彼らは5番、6番の2曲を聞いて帰ってしまった。その後も違う人が次々に。他のフロアでも空席が散見されたから、完売とはいうものの1割ぐらいは空席だったようだ。

 

演奏は去年も聞いているから手の内を承知していて、あまり新鮮味はなかった。昔ながらの重厚長大スタイルだから、濃厚な表情を付けてくる。指揮姿はスマートではなく、両膝をまげてかがむ動作とか、ゆらゆらと腰を振る動きが多い。全身で音楽を表現していてわかりやすいけれど、神楽か何かの伝統的な踊りを見ているような感じがする。

 1番や2番では曲の性格からもあまりいじらず、端正に流した演奏が続いた。フォルテではヴァイオリンの音が随分と硬くて刺激的だったが、後になるほど音がこなれて気にならなくなった。第1番の演奏終了直後から、今年もお約束のブラボー屋の絶叫サービスが付いた。

 

  3番はベートーヴェンが書いた交響曲の中では、例外的にいろんな要素を詰め込んだテンコ盛りの音楽である。オペラ的なストーリー性があるから演出のやりがいがある。コバケンさんはここぞとばかりにコテコテに振るから、歌舞伎役者が舞台で大見えを切るような雰囲気となる。随所にタメが入って唸らせるベートーヴェンを聞かせる指揮者は、現代では絶滅危惧種に近いのではなかろうか。この指揮者が振るベートーヴェンの中ではエロイカが最も面白い聞きものといえるだろう。4番は穏健にまとめて無難な仕上がり。終楽章のファゴットの難所もゆっくりめのテンポで安全運転だった。

 

4番が終わったところで企画者の三枝さんが登場して15分ほどレクチャーをされた。テーマは「日本(アジア)と欧米における文化評価の違いについて」。  東山魁夷の絵は西洋では全然評価されないのは何故かという話から始まった。水田で稲作をする場合、水を変えてやれば毎年作付けが可能で1000年でも同じ水田で稲を作れるが、西洋の麦は数年で畑を変えないと育たなくなる。つまり稲作文化は毎年同じことの繰り返しを好み、変化を望まない。一方、西洋の麦の文化は改革をしないとダメになる。云々。

 

 ヘーゲルによると人間の活動は精神の表れであり、すぐれた芸術は時代を物語る。進歩の無い芸術は芸術とは呼べないというが、東山魁夷や歌舞伎は変わらないところが美質になっている。カント曰く、絵画や文学は人間精神に栄養を与えるが、音楽は(感覚的ゆえ)価値が低い。ベートーヴェンはカントの説に抵抗し、価値のある音楽を作り出そうとした。それで改革という創作テーマを持ち込んだ。

 

 モーツアルトは同じような曲を量産したが、ベートーヴェンはそうではない。昔の人と同じことをしたのがモーツアルトで、ベートーヴェンは違うことをやり始めた。1番から9番まので交響曲は全部違っている。日本人は保守的で変化を嫌うが(70年間自民党政治が続いているのはその典型)、ヨーロッパ人は進歩が好きなのだ。それで、日本では現代音楽は不人気なのだと作曲家である三枝氏は自らの立場をぼやく。

 

 20世紀の作曲家は美しい曲を書くと批評家にバカにされた。今更、ベートーヴェンモーツアルトのスタイルの曲を書いても喜ばれない。結局無調音楽しか選択肢が残ってないのだとか。ベートーヴェンが音楽のあり方を変えた。彼の音楽を聞くと鼓舞されて、何かが出来そうな自信をもらうことが出来る。有効期間は数時間だけかもしれないが、ベートーヴェンからパワーをもらってください・・・。

 

 去年も似たようなお話だった。ベートーヴェンを語ると、革新性について言及せざるを得ないから内容が似てくるのだろう。 休憩時間にロビーに置いてあった第九の自筆譜のファクシミリを拝見した。実物大の写真版である。ページをめくるごとに、ベートーヴェンのあのややこしい筆致が出てくる。写譜屋泣かせのゴチャゴチャ書きは大変なものだった。

  

5番は盛り上がるように書かれた曲だから、指揮者も小細工はせずストレートに演奏し、お客さんも拍手喝采で大喜び。6番もゆるゆると大河の流れのように進む。この曲ではフルートのソロの上手さが光った。総じて木管楽器はミスもなく達者だった。一方、ホルンは不調で時々ミスが出た。去年は木管金管いずれもノーミスでパーフェクトな演奏を聞かせたから、今年はちょっと惜しかった。7番は再びコテコテ路線で芝居がかっていた。この頃になると強奏でコントラバスがバシッ・バシッと唸り始め、オケの気合も白熱してくる。

 

 8番は4つの楽章を続けてアタッカで演奏していた。曲のスケールは小さいものの凝縮した濃密感がすごい。多分、今までの演奏の中で一番完成度が高いかも。演奏が終わった直後、コバケンさんはオケのメンバーをねぎらうスピーチをした。 こういう音を出せるオケは超一流のメンバーがそろっているからです!とか。チェロの藤村俊介さんがブログにこう書いていらっしゃる。「持てる筋力、体力、集中力を9曲の交響曲にバランス良く配分するなどという机上の計算は通用せず、第1番から全力投球になってしまっています」。

 

 9番は木管が4名になりコーラスも並んで、舞台は人でいっぱい。4名のソリストは先日聞いた東響の第九のソリストに比べるとやや格落ちする。特にバス歌手は滑舌に難があり、フガフガした歌い方はいただけなかった(去年も同じような歌唱だった)。コーラスはパワーも十分でなかなかの迫力。フォルティッシモを要求する場面では、指揮者は合唱団に背を向け、右手を後方5階席方向に向けて高く振り上げた。やるぞやるぞと期待した通り。去年と同じ仕草。武蔵野合唱団は指揮者の細かい指示によく反応して、抑揚の変化に富む演奏をしていた。

 

23時55分ぐらいにコンサートは終了。拍手喝采のカーテンコールを繰り返しているうちに新年を迎えた。そこでコバケンさんから「2019年が皆様にとって人生最高の年になりますように」との挨拶があった。ロビーに出ると黒山の人だかり。コンマスのマロさんこと篠崎さんら数名がニューイヤー・ロビー・コンサートで「美しき青きドナウ」を披露してお開きになるのが恒例である。長丁場でお疲れなのにさらにサービスして下さる。

 

 

 大晦日は鉄道が終夜運転している。何本かの電車を乗り継ぎ、駅そばの駐車場に停めてあった車で帰宅した。車内は外人客が多かった。初もうでに行くのだろう。三枝さんがスピーチで話されていたように、私もベートーヴェンから元気をもらって、元日からチェロを取り出して練習してしまった。11時間もかかるコンサートは疲れるからもうおしまいにしようと思うが、年末が近づくと聞きたくなってくるのである。

 

 

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