ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2019

2017年、2018年に続いて大晦日東京文化会館で行われるベートーヴェン交響曲演奏会を聞きに行った。このイベントは2003年に始まり、今回が17回目となる。31日午後1時に交響曲第1番の演奏が始まり、途中で5回の長めの休憩があって、最後の第9が終わるのは23時55分ぐらい。NHK交響楽団有志他による岩城宏之メモリアル・オーケストラの演奏 。コンサートマスター篠崎史紀さん。第1ヴァイオリンは7プルト、第2が6プルトヴィオラは5プルト、チェロは4プルトコントラバスは7名、管楽器は2管編成で、最後の第九のみ4管に増員。第9のコーラスは武蔵野合唱団が出演。指揮者は例年同様に小林研一郎さん(12回目、79歳)。

 

晦日限定臨時編成のオーケストラは、NHK交響楽団の奏者が中心になっているけれど、弦楽器はN響とは違う音がする。腰が強く粘りのある気合が入った音を聴かせる。N響はキレイな上澄みだけを掬い取ったような音を出すが、こちらは多少の灰汁も気にせず、ガッツのある芯の強さを見せつけるところがある。一期一会のコンサートゆえかもしれない(毎年夏に甲子園で繰り広げられる高校野球のひたむきさとプロ野球の違いみたいなものかも)。

 

会場に迷惑なブラボー屋が数人いるのは例年通り。どの曲も終わるや否や間髪を入れずに絶叫する。6番の終楽章などはしんみり終わるのに、大声で叫ぶから音楽の余韻もへったくれもない。たまたますぐそばの席に一人いたので叫んでいる顔を見たら、カッと見開いた目がらんらんと輝き、口元には薄ら笑い。青白い顔の青年は絶叫目的でコンサート会場に来るのだろうか。周囲の女性客らは耳孔に指を突っ込んで大声を我慢していた。

 

小林さんは1980年ぐらいまで主流だったコテコテの重厚長大スタイルでベートーヴェンをやる。ああいうベートーヴェン演奏は今後も残っていくのだろうか?もはや絶滅危惧種的な貴重な存在かもしれない。交響曲第1番と第2番は曲の性格と指揮者の大柄なスタイルがチグハグで居心地が悪かったが、第3番「英雄」では違和感が消えた。全9曲の中では「英雄」が最も指揮者との相性がいいようだ。オーケストラも熱演で応え、今回のコンサートの白眉といえる出来。長大な音楽があっという間に終わってしまった。

 

第2番の演奏が終わった後で、主催者の三枝成彰さんとホルン奏者が出てきて、ホルンという楽器の特性とか構造についてのレクチャーをしていた。ゴムホースの先におもちゃのラッパをつけたものを引っ張り出して、全長4メートル以上にもなるホルンの管の長さを実際に見せていた(ちょっと吹いた)。ベートーヴェンの時代のナチュラルホルンのレプリカと現代のフレンチホルンの違いについてとか、ゲシュトップという音を割る奏法の実演とか、なかなか興味深い話だった。

 

三枝さんのレクチャーは4番の後にもあり、ヘーゲルが説いた芸術に関する話(同じものを作り続けるのが職人、毎回違うものを作るのがアーチスト。これって3年連続で同じ内容の話題なのだ)、西洋音楽史で最も偉大な変革者はベートーヴェンシェーンベルク(12音技法)、ジョン・ゲージ(人間が作曲するのをやめた)の3名だとか、現代音楽は聴衆に受けては失敗作とみなされるので辛いとか、欧米では商業音楽(映画音楽の作曲とか)に手を出した作曲家はクラシックの世界には戻れないとか、愚痴っぽい話もあった。三枝さんは足元が少々危なそうな歩き方をしていた。77歳だそうだ。

 

続く第4番、第5番は終楽章まで余裕たっぷりの恰幅のいい演奏。客席はやんやの拍手喝采だったけれど、最後の第九にそなえてオーケストラが出力をセーブし、スタミナを温存しているみたいな雰囲気もあった。第6番、第7番も悠然と進む。輪郭が若干甘いというか緩いというか、あの人たちならもっとできるだろうに・・・第8番になってようやくキリリと締まった演奏を聞かせてくれた。4つの楽章を休みなくアタッカで演奏し緊迫感を維持していた。

 

8番が終了した直後、ピアニストの横山幸雄さんがリスト編曲の第九の終楽章からトルコマーチ以降を演奏してくれた。ピアノ1台で第九の声楽付きオーケストラを再現するのはえらく骨が折れる仕事だったそうだ。苦労が多いわりには報われない。ご苦労様です。

 

最後の第九の演奏は22時40分に開始。終楽章の冒頭でトランペットがファンファーレの最後の音を外す痛恨のミスが発生したが、これ以外は全9曲、オーケストラに目立つミスがなかったのは立派。藤村俊介さんが率いるチェロパートが随所で健闘していたのも頼もしかった。第九では例年通り武蔵野合唱団が立派なコーラスを聞かせていた。ソリストはソプラノとテノールが精一杯、アルトとバスは余力を感じさせる歌唱だった。指揮者は時々、個性的な演出(こってりと音を重ねるとか、妙なところで伸ばす、あるいは空白を作る、タメを入れるなど)を加えて、ベートーヴェンの音楽に小林流の爪痕を残していたが、全般に予定調和的な円満な音楽が進行し安定していた。3年連続で聞いていると手の内がわかってくるから、スリリングな体験は期待できないけれど、2020年の大晦日にも聞きに行くことになるのだろう。